【悲報】ワイ、絵を描くのは好きではなかった
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子供のころから絵を描くのが好きだと思っていた
でもいつもイラストが好きなグループに入ると私が一番絵が下手だった
いままで所属したグループの中で私より絵が下手だったのは障害の入った幼稚園児のような絵を描いている子だけだった
成人してからデジタルイラストを描き始めた
SNSにもイラストをアップした
五年ほど描き続けたがpixivのフォロワーはいまだに1000人にも満たない
つい最近Twitterにもイラストを上げた
2いいねでリツイートはなかった
視界には同年代でイラストをアップしてから1000以上の評価を受けている友人だと私が勝手に思っている人のイラストが見える
絵を描こうとした
何も描けなかった
結局のところ私は誰かに見てもらいたかっただけだったのだと気づいた
私は誰にも評価されずに朽ちていくと自覚した
誰か私を殺してくれ、死ぬ勇気もないのだ
不特定多数の人がいる場所で個人を特定されずに吐き出したかった毒なのでまとまりのない文章で申し訳ありません 純粋に絵が好きで書いてる人間はいないと思うんだが
評価されるから面白いと
ゴッホみたいな働きもせずに贅沢に絵だけ描いて、文句垂れて死ぬわがままな奴は少ないだろw んなこたーない
誰にも見せるつもりも無いのに
絵が好きでひたすら描いてる人はいくらでもいるし普通 外部に承認要求を求めると拗らすぞ
受けのいい版権を描き続けていくとか人の求める絵を描くことにシフトするとか
いいね目当てなら色々やりようはあるが 承認欲求の手段がたまたま絵だったってだけのことやろ 評価されなくて良いとか白々しい事を言うなと
好きで描いても誰もが人に見せて評価はされたい
同時に見せて貶されるとモチベが下がる
皆がそう 人間が社会性の生き物であり
社会で生きる限りそう形成される 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
"自称一生芸大志望"(笑)の出来損ないwwwwwwwwww『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています