私が >>183-185 あたりで糾弾されている「壱」です。

既に過去の話ではありますが、私から何の反論も説明もないのは不可解だと
訝しく思われる方もいらっしゃると思い、遅ればせながら、私の立場からも
ここにひととおりの説明をさせていただきたいと思います。