■■■■■■汚い伝統の天皇制−すべては沖縄から始まった伝統−■■■■■■    
明治維新から始まった天皇制がいつからか、日本の伝統として聖域化された。  
500年間続いた琉球王朝を潰した原因がそこにあり、沖縄県に軍事経済を植  
えつける口実にしているのが日本の伝統だ。宮内庁が西洋文化で整備した手    
を振るロボットは、国民洗脳しようと必死であり、沖縄県の民主主権を幻滅させ  
るための政治機関であって、明治政府によって生まれた国民統制イデオロギー  
である。天皇制の価値は沖縄にあるのである。その天皇制を何ら疑いもなく受  
け入れる政治家もまた、明治政府と何ら変わらないか、あるいはそれ以下の    
判断能力しかもっていないことになる。もはやこのような政治的頭脳を失った  
日本政府は、沖縄にとって必要ない。むしろ政治的頭脳が必要なのは、沖縄    
そのものであり、琉球の歴史尊重のみが北方領土問題や国連常任理事国復帰  
を結びつけるのである。そればかりか、沖縄米軍基地の跡地に非社会的なカジノ
建設を行い、国家権力への影響力を米軍基地撤去後も引き続き幻滅させようという
国家的圧力がある。民主化を図り、大図書館を建設することにより政治的頭脳の
輩出を促すべきである。もしそれが不可能な場合、日本の国際的主権はより短命
になるためにわれわれは中国と韓国を敬服するようになるだろう。      
 さて、それでは沖縄がかつての琉球政府のような強い主権を回復させたら、日本人
はどうなるか。錯乱状態である。それは天皇制や靖国神社の存在意義だけでなく、
義務教育、民族意識、文明論、いろいろな要素からなる自我・アイデンティティーが
一気に破綻する。そもそも偏った情報統制による思想教育の結果であり、遅かれ
早かれ、明治政府の不完全性は無知なる国民がその代償を支払わなければ成ら  
ないのである。現代日本の伝統は、沖縄への地域格差解消により存在意義消失と
アイデンティティークライシスによってパニックに落としいれらることを何より恐れて
いるのである。