完全は当然美だが一部を崩す事で生まれる美があるのもまた事実
その崩れた経緯や崩れ方に美を感じるのは人の性質からして当然の事である
過去の芸術品や建造物の内決して少なくはない数が故意、過失、風化、その他の理由により損壊しつつも、その芸術性を損なう事無く、あるいは尚増して現代に残っている事がそれを裏付ける
あるいはそもそも完全性そのものでは無くその他の要素にのみ価値を見出しているとしたら、処女性についての言及はなるほどナンセンスだ
ただ両者は結果として似た現象だが本質として全く別の物だ
前者が処女性の価値を認めたからこそ、その損失という破滅的愉悦の堪能、不可逆性から生まれる悲劇、もしくは損失し得るものであるという事実の認識による処女性の貴重性の再確認を目的としているのに対し、後者は文字通り処女性の軽視・無視である
百合にとって処女性が一つの大きなテーマであるという指摘はかねてよりされてきた事であり、その妥当性は言うまでも無いはずてなある
もし君が後者の人間で、だから純粋に処女性の軽視・無視を呟くなら、それすらも極めて不可解な行為に見えると忠告しよう
この場所は君にとって根本からズレている、つまりいわゆる書き込むべきでないスレッドなのではないだろうか