アフガニスタンは多民族国家と言われます。確かに2004年1月に発布された憲法の第4条によれば、
「アフガニスタンの国家は、パシュトゥーン、タジク、ハザラ、ウズベク、トルコマン、バルーチ、パシャイー、ヌーリスタニー、
アイマーク、アラブ、キルギズ、ギジルバーシュ、グージャル、ブラーフウイーと他の諸民族から構成される」とあります。

しかし、歴史の項でも触れるように国家としてのアフガニスタンは、人口割合で40%程度を占めると言われる多数派パシュトゥーン民族による支配が続いてきました。
その中でドッラーニー部族連合とギルザイ部族連合という2大部族集団が、18世紀以来政治的に優勢な地位を保持し、
その中でドッラーニー部族連合が1973年のクーデターで失脚するザヒール=シャー国王に至るまで王位を継承してきた歴史でもあります。

パシュトゥーン民族はパキスタン側にも多く居住しており、同民族の中には英国によって押し付けられたデュランドラインによる民族の分割を乗り越え、
パシュトゥーン民族による国家「パシュトゥーニスタン」建設を目指す動きがあります。
そうした事情もありアフガニスタンおよびパキスタンの国境は両国において合意されたものとはなっていません。

なお、特にパキスタン側国境付近にある連邦直轄部族地域(FATA:Federally Administrated Tribal Area)では、住民であるパシュトゥーン民族の自治が大幅に認められており、
パキスタン政府の管理も徹底できないことから、イスラーム過激派と呼ばれる反政府勢力の温床になっていると米国等からの批判を受けています。

その他の民族では、ハザラ民族が歴史的には相対的に低い社会的地位にありました。これは19世紀後半、国家統一を果たすためにシーア派であるハザラ民族居住地の中央高地
(ハザラジャート)を制圧し、パシュトゥーン民族に土地を分配するなどハザラ民族を抑圧した、当時のラフマン国王の政策に遡ります。

タジク、ウズベクといった民族は隣国のタジキスタン、ウズベキスタンとの関係が強く、
アフガニスタン北部の多住地域では民族指導者のもとに結束し、地方政治はもちろん中央政界にも大きな影響力を持っています。
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