4.5~4.7号機の頃に10枚交換無制限オール設定6確認OKという店があった
シナ畜のパチ荒らし集団がいた
たまに子供が普通に打っていた
昔はすぐ玉が釘にひっかかった
オレンジ味の四角い飴があった
フィーバーでパンクしてもアタッカーに玉を入れてくれて2400発くらいは頂けた
現金機時代のホール主任には人情があった
昔は忘れ物の100円ライターなどカウンターで貰えた(今のパチンコ屋はライターでさえくれないボッタクリ)
耳栓がタダだ貰えた
グランドオープンした店で、すべての台に5000円の入った封筒が置かれていた
3回権利物の閉店補償を狙って閉店間近になると権利物の島が満席になった
1日1回はドル箱ぶちまける奴がいた
ドル箱の底から玉を抜いて3、4箱重ねたまま流せるドル箱があった
金髪ロン毛鼻ピアス腰パンの店員が居た
警備員がいなかったので、店員が自転車を整列していた
ゴミだしや灰皿清掃も店員の仕事で、掃除機で灰皿清掃する店もあった
メダル補給の際に連チャンを消した、連チャンが消えたと騒いでる客がいた
勝率100%の時は、出禁になりそうだったり、ヤクザ紛いのチンピラ共にたかられた
昔はコーヒーレディがいなかった
大当たりすると台の上に赤い薔薇の造花を挿していく粋なホールがあった(10回当たると白い薔薇)
昔の台は下皿の球を抜かないと、すぐ球が飛ばなくなった
毎日日替わりのイベントがあった
店長オススメ台、本日爆発予想台などがあったが、ほとんど出なかった
一般台の本日予定終了台は空き台だと出なかった
即時解放する店だと2回以上、打ち止めされてる台をもらえば勝てた(ただし3回目の解放をしない店もあった)
昔は停電になると大当たりが無効になったので大当たり中のおっさんが激怒していた
誰も座ってない台からチンジャラチンジャラと聞こえ、座ってみるとドル箱一箱以上出てきた
どこかに引っ掛かって玉が出ないときが、しょっちゅうあった
昭和の頃はパチンコ必勝法なる単行本をパチンカーは必ず買ってた
40才以上専用の激甘シルバーシート台があった
まずレシートが無かった。 玉流すとこがカウンターしかなく、流したら景品もらってた
元はスロットマシンが葉巻やガムの自動販売機だった
板ガムの板からバーになったし、チェリーや7図柄は後からできた
フルーツが揃えばその味のガムが貰えた
タクシーの運ちゃんはパチスロ自体をナナと言ってた
アレンジマンを独占入荷して他店に売らせなかったチェーン店があった
BARが揃った時は小指を立ててベイビーという
バケに関しては@ビッグがレグに化けるAロックンロールのレグ図柄がお化け
この2つの説があるが@説を唱える人の中にはロックンロール以前から使っていたと言っている
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