ダグラス・マッカーサーは、回顧録において、次のように述懐した。「第九条は、国家の安全を維持するため、あらゆる必要な措置をとることを
さまたげていない。……第九条は、ただ全く日本の侵略行為の除去だけを目指している。私は、憲法採択の際、そのことを言明した。」

ところが憲法学者は、マッカーサーは冷戦の勃発によって態度を変えたのだ、と主張する。当初は、国際法から乖離かいりした絶対平和主義
を標榜していたはずだ、というのである。その根拠は、いわゆる「マッカーサー・ノート」と呼ばれる憲法草案起草を部下に命じた際の走り書き
だけである。

しかし、単なる走り書きの内部メモの文言を拡大解釈させて憲法解釈の指針とまでしてしまうのは、全く不適切である。マッカーサーは、
部下たちが国際法に合致するように文言を整備した憲法草案に、何も異議を唱えていない。

憲法学者は、憲法9条の冒頭に国際協調主義の前文の趣旨を確認する文言を挿入した芦田均(憲法改正小委員会の委員長)を、憲法9条を
捻ねじ曲げる姑息こそくな行動をとった人物だと非難したうえ、その画策は憲法学通説によって打ち破られたといった「物語」も広めている。

だが、憲法そのものの一貫した趣旨を明確にしようとした芦田が、なぜ非難されなければならないのか。根拠のない解釈を「憲法学者の
大多数の意見だ」という理由で押し付けようとする、憲法学者のほうが横暴なのではないか。
https://president.jp/articles/-/57163?page=3
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