専制国家においては、政体の本性上、極度の服従が求められる。したがって、君公の意思は、ひとたび表明されるや、確実にその効果をもたざるをえないのであり、それは、一つの球がもう一つの球に向かって投げられるとその効果をもたざるをえないのと同じである。
 そこには、妥協も、修正も、和解も、期限も、等価物も、談判も、諫言も、全く存在しない。提案すべき〔君公の意思に〕同等なものも、まさるものも一つもない。人間は、意欲する被造物に服従する被造物である。
 そこでは、将来の出来事について恐れを表明することは、自分の不首尾を運命のいたずらのせいにすることと同じくできない。そこでは、人間の天分は動物と同じで、本能と服従と懲罰とである。

モンテスキュー
法の精神第1部第3編第10章制限政体と専制政体とにおける服従の相違
岩波文庫法の精神(上)p.84
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