>>267 (続き)
アジア独立のためだったか
関連して述べておくと、時々、日本はアジアの植民地の独立のために戦ったと言う人がいるが、これも事実に反する。戦争の結果、
アジアの植民地の独立が進んだのは確かである。またアジアの独立のために行動し、戦った日本人がいたのも確かである。しかし、
戦争に至る重要な局面で、アジアのためということが重視されたことはない。それは公文書を見れば明らかである。戦争への道は、
いつも「自存自衛」が目的だった。
・・・(略)・・・
終盤の波乱と談話への結実
報告書完成の直前、1人の委員が異論を唱えた。同意できないので辞表を出すという。会議で議論をしたいと声をかけても、京都
から出てこない。官邸にはこの委員と個人的に親しい人がいたので、使いを出して説得にあたったが、出てこない。辞表を出されると
右派が喜ぶだけなので、苦労した。この委員と、彼に同調した委員1名以外の14名は、なんら修正するところはないという意見である。
14対2で否決するか、少数意見があったということを付記するか、注をつけるか。やり取りした結果、注をつけることで妥協してもらった。
それも、最初は、日本は満洲事変以後侵略を進めたという箇所について、塘沽停戦協定(1933年5月)から日中戦争勃発(30年7月)
まで情勢は安定していたという趣旨の注だった。しかし、35年には華北分離工作が始まっていて、日本の圧力は明らかだった。私は
この時期の日中間の外交文書の主なものは読んでいる。読めば、そこで日本がいかに高圧的、脅迫的な言辞で中国を追い詰めて
いったかがわかる。胸が痛くなるほどである。塘沽停戦協定から華北分離工作までは安定していたとも、とても言えない。彼は外交
文書を読んでいないのである。
最終的に、2年ほど安定した時期があったというのは留保としてあまりに細かいので、「侵略という言葉に明確な定義がないのに、
そういう言葉を使うことには反対」という主旨の意見があったと注に書くことで妥協してもらった。
懇談会の報告書は長いものだが、安倍談話はこれを基礎にしている。
実際、安倍談話作成にあたって、安倍首相と私は頻繁にやり取りをした。内閣副参事官として私の東大時代の教え子である佐伯
耕三君がおり、頻繁に私のオフィスに来て、彼から安倍首相の意向を聞き、私の助言を彼に伝えた。その回数は十数回に及ぶと思う。
それでも最終的には、安倍談話は安倍首相の文章である。よくできていると思う。戦争に関する記述が多いが、慰安婦についても、
戦時下において筆舌に尽くし難い苦労をされた女性ということを述べている。
・・・(略)・・・
私は左右の無用の対立をなんとか解消できないかと考えていた。それは不可能ではないと思っていた。なぜなら、日本が侵略した
のは事実、それなりに謝罪や補償をしたのも事実、そしていつまでも謝り続けるのはおかしい、というのは、常識のレヴェルの話である。
この程度のラインで合意できないかと思っていた。
それはある程度達成された。歴史問題に関する海外からの日本批判は急速に小さくなった。それは、一面では中国の膨張の危険性
を世界が感じ、その主張に疑問を持ち始めたからではある。それでも、21世紀構想懇談会の作業が一定の役割を果たしたと、ひそか
に思っている。
・・・(略)・・・
[注]
*1 AJISS-Commentary Prime Minister Abe's Visit to the United States 05-11-2007 Yukio Okamoto
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