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■描けないものを描く

 普通絵描きというのは、基礎から鍛練に入ります。
 では、基礎ができた後はどうするのでしょうか。 Sさんは私に複雑なもの、描けないものを描くように指導しました。
 具体的には、Sさんが私の目の前で、スラスラと難解なポーズを描き、「同じものを描いてみろ」 と言うのです。

 私はお世辞半分にゴマカシ笑いをしながら、「とても描けません」 と返しました。
 すると、Sさんは怖い顔を更に怖くして、「じゃあどこをどう描けないのか言え」 と言うのです。
 言い訳すると、更に具体的な言い訳を求められ、具体性を帯びてくると、解決法を教えてもらいました。
 そうしているうちに、「これは現段階の俺でも描けるんじゃないか」 という気持ちになってくるのです。

 実際には描けなかったのですが、はっきり、トッカカリを得たと確信しました。
 そして、トッカカリの作り方のようなものも得たと思いました。
 Sさんは常に言っていました。
「練習の目標と内容は同じでなければならない」
 すなわち、「描けないものを描く」 ことが、練習であり鍛練であるのだと。

 私たちは、デッサンや模写などに時間を割き、しばしば、
「描けないものを描くために、何か別のことをする」
 ことが上達するための練習法である、と考えてしまいます。
 今の自分では乗り越えられない壁に立ち塞がれたとき、一旦そこから逃れて、
別のことをやっているうちに、自然とその壁を乗り越えられる力が付く……という展開を望んでしまいます。
 映画「ベストキッド」のように、窓を洗っているうちに空手が強くなる……といった展開です。

デッサン信者に限らず、上達法の幻想に捕らわれる者は、単純練習をしているうちに、
自分が描けなかったものが無意識のうちに描けるようになることを強く望んでいるのです。
しかし、描けないものそのものに触れない限り、描けないものはいつまでたっても描けないのではないでしょうか。