644 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2006/10/16(月) 23:22:07
いじめの原因は常に100%いじめる側にある
何故なら、いじめの原因はひとえに、いじめる側の「心の狭さ、未熟さ、貧しさ、多様な個性を認め受け入れる寛容・包容力・忍耐力・想像力・思いやり・愛の欠如」だからである

「いじめられる側にも原因が」という主張は、これらのいじめる側の欠陥から目を逸らすための逃げ口上・責任転嫁であり、いじめる側の自省の機会を奪う、誤った考え方である
一方でいじめられた側に罪悪感を与え他人に相談したりしにくくするために、隠蔽され発覚が遅れしばしば事態の深刻化を招く

仮にいじめられる側に何らかの非や落ち度があったとしても、その対処法・更正法がいじめでなければならない必然性はない
寧ろ目的がいじめる側の一方的な快楽・不満解消であるため、却って社会憎悪・人間不信を与え人格を歪ませるだけである(一例:畠山静香容疑者、小林薫死刑囚)

「最初にいじめられる側がいじめる側に不快感を与えたことが原因だ」というのは理由にならない。何故ならそもそも不快感の原因はそれを感じる人自身の持つ価値観にあるからである
「学校を何度変わってもいじめられる。これはいじめられる側に原因がある証拠だ」という主張は通らない。何故なら「どの学校にも、異なる個性を認められない人がいること」が本当のいじめの原因だからである。「多数派が常に正しい」とは限らない

勿論、いじめる側が100%悪いとはいえ、いじめる側だけを責めれば済む問題ではない。
いじめる側にもそれなりの環境や背景や経緯があるからである

以上を読んでも尚「それでもやはりいじめられる側にも原因が」と主張する人は、結局「自分自身の欠陥(思いやりの無さ)を認めたくない」のである
そういう人が少なからずいたことが、いじめがこれまで無くならなかった最大の原因である