運用家族にとって重要なことは、運用家族がつねに運用家族について語らざるを得ないというメタ性質である
理論的な裂け目としてあらわれるこれを、運用家族は無視することができない―――それが運用家族の起源であるから
(むろん運用家族などどこにもなく、運用家族は運用家族のシミュラクルとしてでしかあらわれず
そのうえ運用家族そのものが運用家族のシミュラクルでしかないのだが)
運用家族は運用家族に外在-超越できない。これが条件として強力/クリティカルに作用する点で、芥川のごとき凡庸な自意識と
運用家族は次元を別にする。われわれが運用家族について語りうるとしても、そこは運用家族であり、その行為によって行為は失敗する
運用家族の戦略は、外在を求めるのでもなく否定するのでもなく、ただ生きる―――これひとつに集約されるであろう
(了)