>>926
ということは、前者を支持するのだな
現代美術を知る人間は、前者を肯定的に語る、あるいは語りえるないし語ったことがあったが
現代美術を知るばかりか感じた人間は、前者を否定的に語る。なぜならそれは本物ではないからだ
もちろん、前者の論理を徹底させれば本物など失われるから、現代美術を知る人間は前者を肯定するが
現代美術を知るばかりか感じた人間は前者を否定する。感じた人間にとって本物は失われないし
感じた人間からみた現代美術を知るが感じていない人間にとっても本物は失われないようだからだ
ところで、マニアとはきみのことだろうか?いちおう、おれの親友と家庭教師が
音楽好きなので、アルバムを借りたりしている。教わってはいないが
教わったところで、現代美術を知るばかりか感じた人間によれば、本物に触れたことにはならない
現代美術を知るばかりか感じた人間において、本物に触れることとは、本物を信じることだ
引用すると、ボードリヤールによる「(神は―引用者)シミュラクルとしてしか存在せず、そのうえ
神そのものが、神じたいのシミュラクルでしかなかった」に象徴される思想を、
端的に事実ではないという意味において信じないことが、本物を知ることだからだ
こうした回路で、おれは本物に触れることは永遠にないだろう。なぜならおれは神を信じない
しかし、おれは一度も引用をおこなっていないので、なぜ引用の問題がここで発生するのか、疑問だが