自由意志を否定する学説は以下の通り

(1)・ラプラスの悪魔派
(2)・利己的な遺伝子派
(3)・ミーム派
(4)・環境決定派
(5)・脳科学派

(3)と(4)は「大げさすぎ!アホか」で終了
(2)は、「遺伝子に乗り捨てられるものが意識である、というときの“意識”は虚像だ。“意識”は遺伝子から完全には独立しない。だから意識は全否定されない」
(5)は面白いけれど、「じゃあそこでポンとわいてきた行動の前に決定がないと断ずる根拠はなに?ないよね」となる
(1)について
「まあ、素粒子とか原子は決定された動きをする。それは認める。もちろん、神のごとき視点からすればそうなるってことだ
でも人間の視点と神の視点は圧倒的に遠い。ここがマジで埋めがたい差だ。神ならぬものの視点において避けがたい出来事があるにしても
それが“決定”されていたのか、避けえたのか、わからないんだよな。神からすれば避けるもなにも、真実は“ひとつ”なんで、無関係なのだが
で、実際、世の中の生き物のうち、擬似的に神の視点にたったつもりでグータラしてるやつは繁栄できないって現実もある
この繁栄は人間のあいだでは凄いものがあって、技術も発展して自由は拡張されていっているんだから、それで納得しろ!」