私は両目で一つのモノを見る。しかし、そのモノがどうして一つだとわかるのだろうか。なにしろ私は二つの目で見ているのだ。
一つのモノが二つのモノに見えたり、二つのモノが四つに見えてもおかしくはない。なのに私は、モノが一つあるときには一つ、と感じる。
人間の感覚は、奇妙なものだ。モノを見るとき、そこには“色”がある。しかし、モノを舐めるとき、または触るときに“色”を感じることはない。
それならば、視覚によって形成される世界・嗅覚によって形成される世界・聴覚によって形成される世界は、まるで別物のはずだ。
にもかかわらず、私の感じ取る世界――時間と空間に基礎付けられたその世界は、ただ一つであるように思える。どういうことだろうか。
具体的には、五つの感覚はどこでどのように統一されたのだろう、という問いが立てられる。カントの「カテゴリー」を使い、
「すべての感覚は理性により統一されるのだ」と答えることもできる。だが、これは正しいだろうか?私は理性で五つの世界を統一しているか?
そんなわけはない。とにかく、私の周りに一つの世界があるだけなのだ。そこに理性の介在する余地はない。理性以前の問題である。