セカイ系とは「物語の主人公(ボク)と、彼が思いを寄せるヒロイン(キミ)の二者関係を中心とした小さな日常(キミとボク)と、「世界の危機」「この世の終わり」といった抽象的かつ非日常的な大問題とが素朴に直結している作品群」
もちろん引用だが、議論する以上、誰かの定義を借りることは間違いではないと思う
これらの傾向を持つ作品はエヴァンゲリオン以降爆発的に増えたし、エヴァンゲリオンがその元祖だという意見も多い

エヴァのなにが特徴的っていうと、さっきも言った通り「受動性」
主人公が事象をただ受け入れる
内向的人種であるオタクの共感を得て、「エヴァブーム」が巻き起こったわけだ
ただアニメを眺めるだけのオタクは、能動性のない主人公を自分と重ね合わせた
「なんもしてない俺の周りに、ヒロインが集まってきて、世界救うために戦ったりしちゃう」妄想アニメとさえ呼べる
そういった「ある種病的な」ブームがアニメをより小さな世界で楽しむもの、オタ臭いものに変えていったんじゃないか?
俺はそう考える

ゼロ年代、オタクはネットを得た
今まで小さな輪の中でこそこそやってきたオタが暴れまわる居場所を得た
アニメ話は常にネット上で展開されたし、ブームや価値観なんかもネット上で寄せ集まった中から汲み取られるようになった
その結果が「ハルヒブーム」等であると思う
いまや作り手も視聴者というものを想定するとき、一番に思い浮かべるのは2ちゃんのレスだろう
ネットという新たな「セカイ」を得たオタクは「アニメのセカイ」にひきこもることをやめ、「ネットのセカイ」を主な拠り所とした
ネットの登場によりサブカルチャーは記号化することになる
「萌え」が代表的かな
最初ネットで密かに規定された「萌え」はその力を増大させ、やがて逆に作り手側が意図的に示唆するようになった
「萌えが見つけるものではなく、用意するものになった」ということ

ネットはエヴァから生まれた「オタク」という存在を爆発的に同一化させる
オタクがネットを主戦場とするようになり、物語は変容を余儀なくされた
その結果が最近の人気アニメの傾向としてでている
「セカイを傍観」する存在だったオタクは「アニメセカイとネットセカイをリンクさせる」存在になった
時間切れ