>>308
「世界線が存在すること」と「実際に世界が存在すること」は別。
シュタゲで言うところの世界線というのは、単なる可能性のこと。
複数の可能性(世界線)が存在するが、実際に選ばれる世界はその中の一つ。
だからまゆりが生きる世界が選ばれた場合、まゆりが死ぬ世界は「可能性(世界線)止まり」であり、実現はしない。
これがコペンハーゲン解釈。

エヴェレットの多世界解釈の場合は、それぞれの世界線に対応する世界が存在するという解釈だから、
まゆりが生きる世界とまゆりが死ぬ世界は同時に存在するってことになるが、作中でそれが明確に否定された以上これは間違っている。