カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。
入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。
しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろ」と
繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。
それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに
あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、
新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。
カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。
政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。
これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない。
ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、
外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。
拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。
ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、
あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。
その素朴さと明るさは類がない。
カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田前ブノンペン特派員)
(1975年04月19日 朝日新聞)
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