https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47933371

もしもうそを見抜くことができたなら……うそと人間の深い関係
2019/04/17

レイチェル・ニューワー

うそをつくことはどんな時でも最悪の選択だ。私たちはこう言い聞かされているけれど、それが必ずしも真実とは限らない。

米テレビ番組「グッド・プレイス」のシーズン1にこんな場面があった。倫理学と道徳哲学の大学教授、チディ・アナゴンエはある時、同僚から新しいブーツをどう思うかと聞かれて返事に困ってしまう。
派手な赤にクリスタルを散りばめたそのブーツは、明らかにチディの趣味ではなかった。でも同僚が気を悪くしないように、すごくいいねと言っておく。

チディはすぐにうそをついたことを後悔し、道徳に背いてしまったという思いに取りつかれた。見かねた恋人が「だれでも時には礼儀としてうそをつくもの」と言い聞かせても無駄だった。
ついには罪悪感に耐えられず、同僚に正直な感想を打ち明けてしまう。「そのブーツは最悪でみっともなくて、全然趣味じゃない」と。それを聞いた同僚は見るからに傷ついていた。

チディのような一部の哲学者にとって、うそをついてはいけないという原則は最優先だ。人の気持ちを傷つけないというような、他のあらゆる道徳的原則に優先する。
ただし、正直の定義を実際そこまで厳密に守る人はほとんどいない。うそをつくことは日常生活の一環として認められている。
例えば、調子はどうかとあいさつされて「元気だ」と決まり文句で答えることも、友だちの新しい髪型(あるいはブーツ)が最悪なのに、どう思うかと聞かれてほめ言葉を返すことも。

うそは生活のあちこちに転がっているけれど、それを見破るのはあまりうまくない人が多い。だがある日突然、うそをつかれた時にそれがうそだと確実に分かるようになったらどうだろう。
このあり得ない新技を一体どうしたら使えるようになるのか、技術的、心理学的な仕組みをあれこれ論じたところで仕方がない。
そんなことより大事なのは、こう仮定してみることで、暮らしの中でうそが果たす役割、とかく見落とされたり、軽く見られたりしがちなその役割について、何が分かってくるかということだ。

うそは役に立つ
(リンク先に続きあり)