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「人種平等や民族自決の原則を講和会議が支持しなかったことにいらだち、
あからさまに不法で差別的な政策を前にして自国の政府が意図的に無作為であったことに怒って、
アメリカの多数の黒人が完全な市民権を要求することを決意した。
この決意は特に黒人帰還兵の間で強かった。
…その一方で、復活したクー・クラックス・クランの会員のような反対派の連中は、
平等の要求などは絶対に許さないと決意しており、
『生まれながらの白人キリスト教徒はアメリカ国家と白人の優位を維持するために団結して統一行動をとる』
という計画を公然と発表した。

この相容れない態度が1919年の暑い長い夏に剝きだしの暴動となって爆発し、大規模な人種暴動が発生した。
リンチ・放火・鞭打ち、身の毛のよだつテロ行為、それから『人種戦争』と呼ぶのにふさわしい破壊。

3月にエジプトで暴動が起こり、4月に起こったインドのパンジャブ地方で反乱では、
イギリスの将軍が非武装のインド人群衆に発砲して死者400人、負傷者1000人が出た。
同じ月にパレスティナでも流血の惨事があり
5月にはイギリスはアフガニスタンで戦争に突入し、トルコとは一触即発の状態となったという。