ロシアの東進はコサックの暴力により行われました。(北海道あ氏

そしてカムチヤツカにおけるウラジーミル・アトラーソフによる野蛮極まりない凄惨な暴力により
カムチヤツカに暮らしていたコリャーク人やイテリメン人、アイヌの人々の多くは千島の島々に逃亡せざるを得なくなりました。

その凄惨さ野蛮さはアメリカ合衆国によるネイティブ・アメリカンへの暴力や迫害とよく似ています。

アリューシャン人はロシアとコサツク人の暴力に拠り、ロシアが支配していた間で
住民の数が何と19分の1に激減してしまいました。おそるべき実態です。

ロシアの千島に対する方針は
「住民を可能な限り永久的奴隷の身分におき、現物税支払いの高度な専制制度を敷き、
そのような権力下に住民が居住するようにせよ」というものでした。

アトラーソフはその後、暗殺されます。
暗殺した者はダニラ・アンツィフェーロフとイワン・コズィレフスキーで、彼らはアトラーソフの後任に成りました。
この二人はアトラーソフよりもはるかに酷い非道の者共で、残忍な乱暴の限りを尽くしました。