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北千島のシュムシュ島、パラムシル島、オンネコタン島に上陸した彼ら一行は、強圧的に住民に対します。
これに対しそこに住んでいたアイヌ人やイテリメン人は
「我々はここの住民である。誰に対しても毛皮税を払わない。今迄も誰も我々から毛皮税はとらなかった」
と言いました。

既に北千島の人々はカムチヤツカから逃げて来た人々の話しから、ロシアの非道を知っていました。
この主張に対してロシア側は当然のように暴力で対応しました。暴力だけではなくこの時、戦利品として船を強奪しています。

現在のロシアの主流な学者やマスコミが述べている事実を歪曲した歴史の捏造とは異なり
当時はこのような事があった為、北千島に暮らす人々は南へ南へとどんどん逃れて行きました。

もともと北千島のシャスコタン島では一年に一度、
北海道東部のアイヌの人々も含めたアイヌ人の市場が催されていましたので、凶暴なロシアの噂は広まっていました。
その為、南千島、つまり我が北方領土である択捉島と国後島の住民は北から逃れて来た人々を受け入れました。