それで、東京新聞が、この茶番をスーパースターであるモハメドアリの、変わり果てた
姿で登場し、手を震わせながら聖火台に火をつけた世界中を感動させた
シドニーオリンピックに見立て、さも感動的なシーンであるかのような記事を
書いたのに対抗して、同じ事実から、障害者スポーツ大会をかつての見世物小屋
(と表現するとイマイチ障害者とのつながりがわかりにくいのでカタワショーに置き換え)
に見立てて、主催者の東京新聞と観衆(=偽善者)を障害者を食い物にしたり
嘲笑っている悪人だと風刺したからこそ面白みが生まれるわけで、
これが、障害者を取り巻く環境を偽善として揶揄する表現じゃなくて、
単に障害者を差別する表現でしかなかったら
えぐみだけで面白みのかけらも無いつまらないものになってしまいますよ。
ひろゆきが削除ガイドラインに入れているのも、差別や蔑視の助長を
目的とした書き込みはつまらなく情報価値が無いものだからなのですし。

差別は削除に必要な要件が投稿の目的である以上、一部の表現にだけ気を取られるのではなく
、書き込み全体から投稿目的を判断しなければならず、
解放同盟、朝鮮総連や障害者を取り巻く環境を批判しているのか、
それとも、被部落差別出身者、在日朝鮮人、障害者そのものを差別し、差別を助長しようとしているのか。
それくらいは判断できるようになってから、削除をしても良いんじゃないかなと。