煽りあいというのも一つの側面かもしれませんが、
議論とは 決して馴れ合いの事とは限らず、むしろ、

命題(テーゼ)

否定(アンチテーゼ)・問題提起

肯定(ジンテーゼ)・問題を否定する高みによる解消。

更なる否定(次なるアンチテーゼ)・問題提起

の繰り返しの事です。 議論も、左様な螺旋的な変質の元に、
認識がより高い次元に アウフヘーベン(止揚)されていくことです。
この螺旋的な高揚を 弁証法といい、今から100年以上前にヘーゲルが
提示した様式です。

 弁証法的に認識を高めるためには、
慢心に陥らずに懐疑の姿勢を失わずに、
是々非々で現実と向き合う必要があり、
その意味では、たとえ否定的言及であろうとも
それが建設的なものである可能性が否めません。

 下らない誹謗に終始するのではなく、ダロガ先生の
提示したアンチテーゼを、より高い視点から否定し飲み込むだけの
認識が生まれる事を切に願います。 非難されるべきは下らないレスで
スレッドを荒らす者であり、洗練されたアンチテーゼを提示したダロガ先生ではない、
というのが今の私の認識です。

 肉体的恋愛の範疇で 性病や穢れ・良識の問題を 男女平等論や
性役割分担の是非から離れて論じる事は価値があると思いますので
板違いとは思えません。