まー、間違いは誰にでもあることだと思いますが(もちろん私にもありますた)
間違いを、間違いと認める勇気すら、持たない人は、
自分が、自分が吐いた言葉(=間違い)に呑み込まれて
這い出ることができなくなってしまうのですよ
彼(彼女?どうでもいいけど)は、その典型的な例を
自らを用いて、このスレを見ている大勢の人に示したわけです
間違いを認めることの恥ずかしさと
間違いを認めないことの恥ずかしさ
この違いはボディーブローのように
後になってから、効いてくるですよ
「どうしてあの時、間違いを認めなかったのか」と
後になってから思っても、もう遅いのですが
彼(彼女?)は、そういう冷静な判断が出来ないまま
あと何年も過ごすのでしょうね
そういう人を私は何人も知っています
なぜなら
私もかつては「そういう人だった」から
己が無知であることを知った時に
無知から一歩離れる機会を得る
だが、その機会は、有限である
彼(彼女?どうでもいい)に
あと何回機会は訪れるだろうか
それとも、これが最後だろうか?
本人にすら判らない