>>255
責任ある立場の人にそう言われればそうします。
もちろん見習いの期間を終えれば、言われるか否かを問わず自分で考えて行動します。

が、今はその時ではなく、方針を決めるのは私でも貴方でも無い事は上記の通りです。


>>257
名前欄は気にすべき時とそうでない時があります。
通常の議論に置いては何が正しいかが問題であって名前欄は
さして意味はありません。

が、組織の方針等で「どちらでもいい」場合などは どういう方針をとり
どういう風に事を為して行くか、それは責任ある立場の人間の言に従うのが常であり
故に身分を示す名前は非常に重要です。

文脈を問わず名前は関係無いとか言うのではなく、いつ名前が重要で
いつ名前に囚われてはいけないのかを良く考えるべきかと。

もう一つの問題点は下記でまとめて答えます。


>>258 >>261
また「見習うべき方々」の中で意見が異なっていますね。。。
これ、困るんですよ本当に。。。
>>259さんや>>257さんも同じ問題を抱えていますからまとめますが、


案内人というものは、そのポジションやあり方、役割に付いて、
非常に大きな矛盾を抱えているんですよ。
本当はクラスチェンジしてから言うつもりだったんですが、ここまで来たので
必要な所だけでもかいつまんで話しますが。。。

例えば、上記だけでも「削除人ではなく案内人同士の注意ならいい」という
意見が出ていますが、同時に名無しが削除人だったり案内人だったり
という事も言われています。
実際、私も削除人である可能性が疑われる名無しの方に出会って
対処に窮した事がありますし。
勿論、案内人の中にも実は削除人という方はおられるようです。


一つの意見に対してだけでも もう既に矛盾が起こってしまって居るのに
更にこれに定まらない指導方針と、案内人の微妙なポジションが相まって
非常に不安定な状態になっているのです。

そんな矛盾した存在をどうにかこうにか支えているのが、皮肉にも「静かに学ぶ」
というか「他者に対して物を言わない姿勢」なのです。


相互補完の名の下に、注意した相手が見習うべき相手、削除人だったら、
どうすべきなのですか?

名前を見て意見を翻すべきなのですか?
それとも禁を破って削除人に論戦を仕掛けるべきなのですか?

教えてください。