BBX規制に引っ掛かったので報告します。

【記録】イスラエルがやってる事を一々覚えていたい15【in議論板】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1232958423/

↓書き込もうとした内容
The Plight of Al Samouni Family in Gaza: in their own voices
http://www.alhaq.org/etemplate.php?id=416

和訳。
ガザ地区、アル=サモウニ一族の苦難: 彼ら自身の声による
http://nofrills.seesaa.net/article/113381515.html

ガザ地区のアル=サモウニ一族の話は悲劇的で身の毛もよだつようなものである。Al Haqの
フィールド・リサーチのメンバーによると、発端は2009年1月3日、土曜日のことだった。この日、
アル=ゼイトゥン地区にイスラエル軍が侵攻し、砲撃を行なっていた。

翌日の2009年1月4日、イスラエル占領軍は同じ地域を爆撃し、パレスチナ人1人を殺した。

2009 年1月5日月曜日の午前7時、イスラエル占領軍は再度同じアル=ゼイトゥン地区を
爆撃した。ミサイルのうち1発がタラル・ヒルミ・アル=サモウニの家の3 階を直撃した。
負傷しながらも(OR 心的外傷を負いながらも)、家族は消火に手をつくした。その前に、ここの
16人の家族――祖父母と子供たちとその家族 ――は、ガザ地区を襲っている爆弾を恐れて
1階に避難していた。

状況がますますひどくなり、砲撃が激しくなるにつれて、アル=サモウニ一族のさらに3家族が、
タラルの家に避難してきた。これらの家族の内訳は、イブラヒム・アル=サモウニ一家(12人)、
ラシャド・アル=サモウニ一家(11人)とナフィズ・アル=サモウニ一家(10人)であった。合計で
49人のアル=サモウニ一族のメンバーが、タラルの家に集まっていたことになる。

月曜、(人々を移動させた)その後イスラエル占領軍はタラルの家のドアをノックし、集まっていた
一族の人々に、ワエル・アル=サモウニ(家族は11人)の家に移動してほしいと告げた。イスラエル
占領軍はまた、男たちには出口のところでシャツをめくるように言って(これはいずれの文化圏でも、
相手の人間性を奪う態度である)、ワエルの家を包囲し、アル=サモウニ一族の60人を、
24時間水のない状態に置いた。電気に関しては、ガザ地区ではイスラエルの爆撃が
2008年12月27日に開始されてから全面的にストップしていた。
(続く)