五代将軍 徳川綱吉の時代のお話です
犬公方といわれた綱吉のころは、
人より犬の方が大切にされたといいますが 奈良でも
鹿は神鹿として 人より大切にされていた時代がありました

三条通りの南がわ 興福寺の中に俗に十三鐘といわれる
菩提院大御堂があります
むかし このお堂の横に寺子屋があって、お寺の和尚さんが
二・三十人の子供達に読み書きを教えていました
その子供達のなかに「三作」という子がいました

ある日「三作」が習字をしていると,一頭の鹿がやってきて
廊下に置いてあった草子をくわえていこうとしました
「三作」は「コラッ」と叫んで文鎮を投げつけましたが
打ち所が悪かったのか 鹿はその場に倒れて死んでしまいました

奈良の鹿は春日大社の神の使いとされていますので、当時は
[鹿を殺せば石子詰め]といい、死んだ鹿と一緒に
生き埋めにされることになっていました