古くからある究極のテーマとして
何をやれば良いのか分からないから何もやらなくなってしまう
という最悪の選択を取ってしまうと言うのがある
そして現代社会ではそれだけは絶対にするなと教わる
この際、犯罪者でも良いから何かには成れと迫られるのだ

そこで問いが一つある、あったと言うべきだろうか
ではその犯罪は凶悪犯罪でもよいのか?である
殺人や放火をするくらいならば何もしない方がマシではないだろうか?
という疑問が古くからあった

そしてその問いの答えが顕になろうとしてる
その答えは何者にも成らないでい続けようとする者は
いずれ凶悪犯罪をやらかすだろう、だから結果は同じである
と言うものだ

こうした見解には人を犯罪予備軍として疑って良いものなのか
という疑念がある反面、一定の説得力はある

やりたい事がないのは仕方がないが、義務や義理を放棄している
何もやらない存在が、凶悪犯罪だけは避けるなんて都合の良い
ことがあるのだろうか

何かをやろうとしないと言うことは裏返せば、悪いことはしない
消極的な意思や、善性を尊重しようと言った積極的な意思、
そうした最低限の倫理観すらないのだから、凶悪犯罪をやるのを
止めようと言う考えすらないことになる