ここでもう一度整理すると、
X. 立体理解(服の造形)、肉体
Y. カワイイ顔
Z. (該当無し)
となる。このZに該当なしの点が「描く」事により鍛えてきた従来型絵師の特徴であり、
出力余裕はあるから問題点が分かれば修正は可能、天然だからやる気はあるので気づけば修正、よってZは常に空、となる。
この場合の標準戦略はZ→Y→Xと攻めていく事で、順当には次は
・Y(=そこに問題が有る事は認識しているが、具体的な修正方法が分からない)について、福笑いしろ、となる。
つまり目や口や鼻、デジタルではこれらを描いた後にも自由に動かせるのだから、
自分で色々試して当たりを探れ、である。
これだと修正案→修正のサイクルは10分で回せるので、一々ここでお伺い立てて一周に24時間かけるより144倍効率がいい。
だからこれ「もっと自分で直して、見てもらうのは少なくしろ」を提案してる人もいるし、極めて妥当だ。
そして、
> 他人の絵のアラ探しは余り意味はない。
も基本的にこれだと思う。理由は述べられているし、それはその通りなのだが、それは後付で、つまり、
188の体感としてまず「他人の絵のアラ探しはあまり意味がない」があり、
これはやってみて大して意味がなかった(≒効率が著しく悪かった)から来ているのではないかと思うが、
それが何故かと考えた時に、ああいう理由付けになっているように見える。
まあ理由自体は確かに妥当なのだが、本質は、
・自分の絵のアラを作画中に自分で検出して修正するのが一番効率がいい
事であり、出来るのならこれを目指すべきだ。

問題はこれが出来ない場合も普通にあるという事だ。
Xの場合は認識出来てないのでそもそも無理だが、
真面目ならYの場合もそれなりに福笑いした後であり、「やってみたけどイマイチでした」の状態にある。
だからやはり直接的には福笑いの腕前を上げるべきだ。(手法は以前に書いたとおり、赤ペン100枚切りでもどうぞ)