http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post_1.html

つまり、「ひろゆき氏+2ちゃんねる+匿名性」という偶然(?)の組み合わせが、
ネットワーカーを「訴訟されるリスク」から護ってくれているわけで、これは権利でも
なんでもなく、単なる事実上のラッキーなんですね。そういう現状を踏まえた上で、
敢えて私の立場を申し上げると、「匿名はケシカラン」ということではないのです。
私は、ネットを活用していらっしゃる方々に、「匿名性の下での言論の自由」という
ものをもっともっと大切に扱っていただきたいと申し上げたいのです。

突き詰めますと、「匿名性」についての私の関心は、「匿名性の下での言論の自由」
が護られるか否かという点に集中しています。もう少し分かりやすく言えば、
エスタブリッシュメントが本格的に「2ちゃんねる」の「匿名性」を問題視し始めたときに、
世の中は「2ちゃんねる」を擁護してくれるでしょうか、という問い掛けなのです。

「匿名性の下での言論の自由」を将来的にも護っていきたいのであれば、「匿名性」
に関して、世の中に受け入れられる自主ルールというものが必要になってくるということに
気付かざるを得ません。くだらない誹謗中傷や罵詈雑言の自由を放任しているために、
「匿名性」に対する嫌悪感を世の中で助長していくということが、真に護らなければならない
「匿名性の下での言論の自由」を護っていく上で、如何に大きな障害となり得るのか、
について思いを馳せなければならないように思います。
もし、「匿名性」のメリットを享受している方々が、「そうなったら、発言するのやめればいい
だけじゃん」と軽くしか考えていないのであれば、「匿名性の下での言論の自由」など誰も
身体を張って護ってはくれないでしょう。「匿名性の下での言論の自由」を護るのはネット
ワーカー自身であり、ネットワーカー以外にその価値の重要性を共有してくれる世の中の
人はいないと思っておいたほうがよいと思います。