>>595
>>582のドコモ名無しの良心氏の言によると妙心氏は「誰が書いたかではなく云々」をよく言うそうだが?
個体識別されたくないなら、個体識別されないように努力すべきという問題と「誰が書いたか」に振り回されている人に対して、
「何が書かれてるかどうたら」と説く話は別の話じゃないかな?

ここで俺が話を振った話は、そういう事じゃないんだよな。民主党ネタで例えるなら、
野党時代はあれだけカネと政治の問題で与党自民党を批判していたのに、
いざ身内の小沢が同じ問題を起こしたらみんなだんまりを決め込んでしまった鳩山政権みたいな。
今の2ちゃん運営系板が抱えるそういう雰囲気をちょっと指摘してみたという話なんだよね。

次に原則主義と現場主義の兼ね合いが不確定で云々についてだけど。
貴方がどういう意味でこの言葉を使ってるのかわからないので、
あくまで一般的に理解されている意味で使っているという前提でレスするけど、
派閥全盛の時よりも今のほうがもっと不確定で議論の余地はあるような気がしないか?

原則主義ーー大まかな原則だけがあって細かい部分は実務(現場)で判断して行く主義
現場主義ーー現場で柔軟に判断していくことを重視する主義

どちらも似た部分のある言葉だけど、以前は原則の部分がわりと明確になっていて、
現場の裁量で判断する部分はわりと限られていたし、管理人の意向、管理人補佐の解釈などを元に
個々の削除人はほんの少しだけ考えたり議論するだけでよかった。

だけど今はそうはいかない。
>>589でも少し触れているけど、「管理人ひろゆきがコテハンは嫌いだから」などのように原則を補足する指針が存在した。
でも今現在そういう言葉って有効なの? とかいろいろあるよね。忍さん解釈は今どういう位置づけなのか、とか。

それで今回の削除議論の最初のほうに話はもどるけど、コテハンスレが実態として存在しつづけてきた難民板で、
コテハンスレが処理された。
一昔まえなら30数レスのコテハンスレが「停止」されるのはわりと異例の判断だったわけだけど、
そのあたりには削除人諸氏は疑問に思うことがないのだろうか?
最近は原則と現場主義的な判断が不明確で、原則に外れた処理や判断がどこまで許容されるのか不明確になっている。
と俺は感じるんだよね。