5月11日には、武庫郡本庄村の川西航空機甲南製作所が精密爆撃を受ける
この空襲では、武庫郡の灘から西灘にかけての地域(現在の東灘区・灘区)が大きな被害を受けた

さらに6月5日の空襲により、西部の須磨区垂水町から東は西宮市までの広範囲が爆撃され
それまで被害の少なかった【神戸市東部や武庫郡が焦土と化し、3度の大空襲でほぼ神戸市全土が壊滅】

被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、戦災家屋数14万1,983戸、総戦災者数は罹災者53万858人、
【死者7,491人、負傷者1万7,002人とされるが、これは確定的なものではなく実際はさらに膨大な被害】であった
神戸市の人口1000人当たりの戦争被害率は47.4人であり
人口および面積から換算した被害率としては当時の五大都市の中でも最悪の数字であった