※アメリカの戦争犯罪

『岡山空襲』
1945年6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけてアメリカ軍により行われた岡山県の岡山市に対する空襲
計画段階では戦略爆撃だったが、ほとんど無差別爆撃として実行された
この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ140機が用いられ
空襲警報が出されず全くの【不意打ちであったため死者1737人】にも及んだ

6月29日には岡山県の岡山市のほか宮崎県の延岡市、福岡県の門司市が空襲を受け
夜には長崎県の佐世保市が空襲を受けた

アメリカ軍は軍事的な拠点よりもその下請けとなっている
多数の小規模な工場と労働者、すなわち【一般市民を攻撃対象】とした

6月29日午前2時43分、138機のB-29による岡山市への爆撃が開始
【照明弾と焼夷弾が使用された】
【焼夷弾は爆風による破壊効果をもつ大型の油脂焼夷弾】(AN-M47-A2)と
殺傷能力を高めるために【猛毒の黄燐が混入された小型の集束焼夷弾】(AN-E48、集束弾からAN-M74焼夷弾38本が散開)の
2種類が約890t(約95000発)投下され【市街地は一面火の海となり逃げ場を失った1700人を超える岡山市民が殺害された】
なお、この岡山空襲で世界的外科医の三宅速も犠牲となっている