GHQがかき消した東京大空襲 首都圏占領のための皆殺し 原爆に匹敵する残虐さ

戦後は「碑を建てるな」と通達

東京に侵入し、都民が寝静まった10日午前〇時7分から約2時間40分の間に
下町地域に油脂焼夷弾を約38万発(1800d)投下した
この焼夷弾は水では消えない特殊な油脂を周囲にまき散らして爆発的な火災を起こすもので
木造の日本家屋を効率よく焼き払うために特別に開発されたものだった

 米軍はこの地域全体を焼き尽くすため、春先の強風が吹く3月を攻撃時期に選び
隅田川を中心にして浅草、本所、日本橋区全域を含む下町地域に照準点を設け
周囲から炎で囲い込んで住民が逃げられないように空爆を開始,民族絶滅作戦を実行した

【わずか2時間足らずで10万人超が犠牲になるような空爆は後にも先にもない】
下町を中心に東京都の六割の面積が焦土と化し、約29万戸の家屋が焼失し、墨田区では人口が空襲前の4分の1にまで激減した