官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てられた通達文書には、
当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設に対して
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。
二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。
だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針を挙げ
これに「協力するよう求められた」ため、「今後はこの方針を徹底的に守るようにしなさい」と明記されている。

あれから70年を経た今回の慰霊碑建立にも、区役所からは「区への申請は受け付けていない」と
対応されたと語られており、「行政から助成を受けることもできないので、
発起人を中心に町内外へ寄付を募ると“地元の者ではないが、私の家族も空襲で犠牲になった”
“平和を伝えるために碑を建てて後世に残すことはよいことだ”とあちこちから寄付金が集まった。
この町は戦災死没者名簿がつくられていたから墓誌が建立できたが、
ほとんどの町では資料が残っておらず公的機関が動かなければ難しい。なぜいまだに占領下と同じなのか。
こんな形であの残酷な東京大空襲の記憶が薄れて忘れられてはならない。
学校でも、東京大空襲の経験を語る平和学習などはいっさいないので、今のうちにやらなければいけない」と切実な思いが語られた。