>>17
抵抗がある無いの話で言うなら

「ワッチョイに賛成ならワッチョイ出せよ」という台詞がなぜ多用されるのか
解きほぐしてみようか

まず前提に、「使いたくないと思う仕組みは、悪い仕組みだ」
という価値観がある
その上で「賛成するならワッチョイを出せ」と言うことで、
「賛成する本人がワッチョイを出さなければ、ワッチョイは悪い物だ」と主張できる

もし賛成派がワッチョイを出したとしても、それは
「本人が出しても、それをもって他者も使いたがるという理屈にはならない」
と主張できる

つまり、賛成派がワッチョイを出さなければ、反対派にとって利益になるし、
もしワッチョイを出しても、反対派にとって不利益にはならない

でもね、無条件に「使いたくない仕組みは、悪い仕組みだ」と言える?
たとえば、好き好んで税金を納めている人がどれだけいる?
税金は嫌でも必要性は理解しているから納めるし、それでこの国は回っている
つまり、「仕組みを使いたいか、そうでないか」だけで善し悪しが決まるわけじゃない

話を戻す

要するに、「ワッチョイに賛成するなら自分が出せ」という台詞は
議論で自分が有利になるための策略にすぎないんだよ

意図的なのか無意識なのかは、本人のみぞ知る、だが、
これのどこが「多様な意見を聞く」なんだろうねぇ?