尼港(ニコライエフスク港)事件
(前略)ところが結局この121名は投獄され、食事もろくに与えられず
日本の救援軍に対する防御陣地構築に駆り出された後、
零下30度のアドミラル河岸で両手を針金で後ろ手に縛られたまま共産軍によって次々と虐殺された。
残された在留日本人も(この人達は当時商社などに勤めていた一般市民である)、多くが共産パルチザンの手で惨殺された。

この惨殺には、中国人と朝鮮人も加わり、
日本人の死体の指を切り落として指輪を奪い、斧を振るって頭部を砕き金歯を奪って行ったと言う。

(元寇の虐殺や拉致と変わらず同じ蛮行を繰り返している)

満州から引き上げてくる無防備な日本開拓団の人々に対し、
ロシア兵も八路軍(中国共産党軍)も朝鮮八路軍も暴虐の限りを尽くしている。

後からやって来た国民党の正規軍も格好は良かったが、賄賂や婦女暴行は日常茶飯事だったという。