ヤルタ会談では アメリカとソ連にとって重要な取り決めが行われていました。
ソ連の 「対日参戦」 です。
アメリカが日本との戦いをさらに優勢に進めるため、
ソ連に「参戦して援護してくれ!」 と要求していたのです。
しかし、これが次の問題を生む事となります・・・

特に沖縄の戦いでは、女子供を含む地元住民が決死の抵抗をしてきて、
それをマシンガンで撃ち殺したり 目の前で一家が手榴弾で自殺をしたり
アメリカ兵の士気は激減、精神的に参ってしまう者も出始めます。
前線の司令部からは、戦いは優勢でありながら、上記の理由で一時後退の要請も出るようになりました。
しかし、アメリカの上層部はここで後退とか悠長な事は言っていられませんでした。

「ヤルタ会談」 で、ソ連の参戦を促してしまっていたからです
ヤルタ会談の後、ソ連とアメリカの関係はどんどん悪化。

ソ連は ヤルタ会談で取り決めていた東ヨーロッパの国々の扱いを無視して、
それらの国々をどんどん社会主義国化し、ソビエト・ロシアの属国にしていったからです。