>>941
7月末には準備が開始され、8月6日、広島への原子爆弾投下が実行されます。
広島に投下して3日後の9日には、別タイプの原爆第2号が長崎に投下されるのです。
一瞬にして都市は完全な焼け野原となり、10万人以上の一般市民が死亡します。
原爆の威力は、広島は1万5千トン、長崎は2万2千トンのダイナマイトを一挙に爆発させたのと同等のものでした。

ソ連はポツダム会談中から日本侵攻の準備を急ピッチで進めます。
日本とソ連は当時「日ソ中立条約」 という不可侵条約を結んでいたのですが、もちろんソ連はそれを一方的に破棄。

8月8日の深夜、ソ連は日本に宣戦布告、8月9日 には進攻を開始!

8月9日、アメリカは今度は長崎市への原子爆弾投下を実行。
再び都市は一瞬で全滅し、5万人以上の一般市民が殺害されることとなります。
なぜ軍事拠点を標的にせず、庶民居住地区を標的にして、
無警告で、しかも防空壕に退避させないようにしたうえで、原爆を投下したのか。
答えは明らかです。
こんごの原子戦争に備えて、原子戦争の威力と効果についての情報を集めておくことが不可欠であったからです。