ソ連兵は満州だけでなく欧州においても、現地の住民を対象にしたレイプで性欲を処理するのが慣行であった。

ようやく満州から陸路朝鮮に入り、半島を南下するに際し
ここで再び現地人男性による凌辱が繰り返されたのである。

不法妊娠者の数から医師の試算するところでは、被害者は少女から中年婦人に至るまで約5,000人に及んだと推定される。

終戦直後、中国大陸から引き揚げ途中に旧ソ連軍と中共軍から暴行を受け
妊娠した女性の堕胎処置が行われた「二日市保養所」

日赤看護婦だった村石さんは、
「堕胎は違法と知っていたが、心ならず妊娠した女性は故郷にも帰れなかった。ただ救いたい、という一心だった」
と当時の様子を証言した。
処置後、「悔しい」という言葉を残して亡くなった十七歳の師範学校女生徒のことなどを思いだすにつけ、
「歴史の一ページとして証言しなければならない」 と思ったという。

証言を聞いた住民グループ「戦後五十年筑紫野語ろう会」代表は
「万感迫るものを感じた。ほかの引き揚げ地でも同じことがあったはず」 と指摘。
院長らは
「悲惨な歴史を明らかにすることが、生まれてこなかった子供たちのためにもなる」
として、旧二日市保養所の実態解明を続けることにしている。