ゆるゆりクトゥルフ [無断転載禁止]©2ch.net
「……ここ、どこだ?」
気が付いたら見知らぬ場所にいた。
いつも通りの日常。
いつも通りの時間に目覚め、いつも通りに授業を受け、放課後はいつも通りに部室で京子たちと過ごした。
雨が降っていたので早めに解散し、帰宅後すぐにシャワーを浴びた。
買い物はしていなかったので夕食は買い置きのパスタを茹でて食べた。
ベッドの上でスマホをいじりながらだらだらしていたら眠くなって、それから……。
「ダメだ……思い出せない」
覚醒し切らない頭がもどかしい。
大きく息を吸い、吐き出す。
しっかりしろ、これは異常事態だ。 「……まさか誘拐?」
誘拐だとしたら犯人の目的がわからない。
なぜわざわざ私を?
それに誰かに拘束されたような跡も……。
「って、あれ? なんで私、制服着てるんだ?」
ますます混乱してきた。
風呂上がりに着ていたのはごく普通のトレーナーだった。
それ以前に雨で濡れてしまった制服は乾燥機に入れたはずだ。
(あっ、そうだスマホ……)
制服のポケットを調べてみるが何もなし。
私は身ぐるみひとつでここにいるという訳になる。
まぁスマホがあったとしてもここに電波が通っているとは限らないのだが。
……誘拐説は、ひとまず保留しておこう。 改めて周囲を見渡す。小さな部屋だ。
壁も床もコンクリート製、四方にはそれぞれ扉がある。
部屋の中央には古びた木製の長机と、それを挟むようにして木製の椅子が2脚。
天井からは大きめの豆電球がゆらゆらと部屋全体を照らしていた。
(落ち着け、落ち着け……何か情報を……)
私はテーブルの上に視線を向ける。
なにかが置いてあるようだ。
近づいてみると、そこには木製の皿に入った真っ赤な液体。
それと古びた紙片が2枚。
……液体が気になる、気になるけど、こっちが先だ。
私は2枚の紙片の内の1枚を手に取る。 そこには文字が書かれていた。
『狭間へようこそ。
夜明けと共に迎えに行くからね。
現(うつつ)への切符は毒入りスープ。
美味しい美味しい毒入りスープ。
冷めないうちに、召し上がれ』
「はっ……ははは……」
なんだこれは。
冷や汗が止まらない。
頭がおかしくなりそうだ。
これは誰かのイタズラなんかじゃない。
なぜか確信めいて思えた。
どうしようもない程に雑で、それでいてバカみたいなスケールの大きさを持った……誰かの悪意。
それを、感じ取った。 ヒラリ。
力の抜けた私の手から紙切れが落ちる。
迎えに来る? 誰が? 私を?
突然訪れた非日常。
そんなもの、私は望んでいない。
「あーもう! なんなんだよ!!」
とにかく、このままじっとしているのは不味い。
脳が本能レベルで危険を訴えかけて来ているのがわかる。
もっと情報を集めなければならない。 気を取り直して私はもう1枚の紙片に目を通す。
どうやらこの空間の見取り図のようだ。
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地図によると部屋は5つ。まとめると
今私がいる中央の部屋が『スープの部屋』
北にある白い扉の先が『調理室』
南にある小窓付きの分厚そうな鉄扉の先が『礼拝堂』
西にある木製の扉の先が『書物庫』
東にある錆びたボロ扉の先が『下僕の部屋』
とのことだ。 続いてテーブルの上に置かれた皿に目を向ける。
(これが毒入りスープなのか?)
皿の中の赤い液体はほかほかと湯気を立てている。
どろりと濁ったそれはまるで……。
(……これを飲んで終わり、って訳にはいかないだろうな)
いきなり飲むのは早計だろう。
手で扇いで臭いを嗅いでみるものの無臭。
こいつはあと回しでいい。
となると次はそれぞれの部屋に向かうことになる。
しかし、明らかにヤバそうな名前の部屋が2つある。
礼拝堂と下僕の部屋だ。
どちらにせよ何かがいる気がしてならない。
特に南の礼拝堂は他の部屋と扉の造りがまるで違う。
厳重すぎるのだ。
しばらく考えてから私は比較的まともそうな西の扉、
書物庫から探索を始めることにした。 木製の扉の前に近付き、聞き耳を立てる。
……特に物音はしない。
そっと扉を開ける。
書物庫の中は微かに明るい。
光源は小さな机の上に置かれた蝋燭のようだ。金色の燭台がよく目立つ。
四隅には本が山のように積まれた棚。
私はそこから適当な本を1冊抜き取り、パラパラとページをめくる。
「日本語、なんだな……」
どこかで読んだことがあるような童話。
手掛かりになるような事は書いていなさそうだ。
本を棚に戻し、改めて本棚全体に目星を送る。
本棚には数多くの本が収められているが、どれもジャンルはバラバラのようだ。
本の持ち主はきっと悪食なのだろう、統一感がまるでない。
いずれにせよ、ここから目当ての情報を見付けるのは骨が折れそうだ。 (まずはオカルトとかそういうきな臭さそうな本を探してみようかな……背表紙だけ流し見る感じで)
結局地道な探索を続けることにした。
……ゲームなら一瞬で目当ての情報を見つけることが出来るんだろうな。
生憎不自然に光を放っている本などは見当たらない。
探索を始めてから10分程経っただろうか。
右手奥の棚から妙な本を見付けた。
どうも最近取り出された形跡がある。
背表紙になにも書かれていない、黒い本だ。
私はそれを本棚から抜き取る。
「!? なんだこの本、湿ってる……!」
嫌悪感から思わず手を離す。
その本はなにやら黒い液体にまみれていた。
液体からはほのかに甘い香りもする。
私は手にべっとりとついてしまったそれをスカートの裾で拭う。
ハンカチなど持っていないのだから仕方ない。
周囲を見渡すも本をつまめそうなものは見当たらない。
ゲンナリしながら私は再び本を手に取った。 黒い本の題名は『スープの夢について』
ページのほとんどが白紙であり、最後の1ページにだけ以下の記述があった。
中央の部屋……美味しさの秘訣は隠し味。スープのレシピはメモの裏。
北の部屋……予備のスープが鍋にある。
東の部屋……良い子が待っている。良いものを持っている。
西の部屋……本を持ち出してはいけない。蝋燭は持っていける。
南の部屋……神が眠る。隠し味の資料がある。神の番人は供物を捧げなければいなくならない。
大事な事……人生は選択の連続である。死ぬ覚悟をして飲むこと。
……どれも重要そうな情報だ。
最初にここを調べたのは正解だったかもしれない。
私は蝋燭を持って書物庫を後にした。 歳納京子 ゆるゆり 京綾 結京 ねんどろいど 同人 なもり 中央の部屋へ戻り、テーブルの上に蝋燭を置いた。
必要になったら使えばいい。
黒い本によればメモの裏にはスープのレシピとやらが記されているらしい。
辟易しながらも私は先ほどメモを探す……が、見当たらない。
焦る。
慌てて周囲を見渡すとメモはすぐに見付かった。
なんて事はない。
床に落ちていただけだった。
(なにやってんだ、私は)
小さく咳払いをしてからそれを拾い上げる。 そこにはこう記されていた。
『あたたかい血のスープ。
人間の血のスープ。
冷めないうちに、召し上がれ』
……まぁ予想はしていた。
考えないようにしていたが。
これを飲めと言うのか。
私はテーブルの上の皿に目をやる。
まだ湯気は立っていた。
先ほど調べた時には無臭だったはず。
しかし今ははっきりと鉄の臭いが感じられた。
頭が痛い。 消去法で次は北の調理室に向かうことにする。
『スープの予備』も確認しておくべきだろう。
扉には取っ手は付いておらず押戸のような形になっていた。
一応室内に聞き耳を立てるが、物音はしない。
潔く突入することにする。
ゆっくりはしていられない。
調理室に入ってまず驚いたのは室内の明るさだった。
天井から無数の電球に照らされ真昼のように明るい。
周囲を見渡すと調理器具やガスコンロ、棚には食器や調味料の類いが積まれている。
ごく普通の調理場のようだ。
全体的に清潔な印象を受けた。
(パッと見で気になるところと言えば……)
ガスコンロの上の、蓋をされた大きな鍋。
堂々としすぎていて逆に怪しく思える。
普通に考えれば『予備のスープ』とやらはあそこにあるのだろう。
だがしかし……
「開けたくねー……」
あたたかい人間の血のスープ。
嫌な予感しかしない。 コンッコンッ
軽く鍋の蓋を叩いてみる。
やはり何が入っているようなこもった音が返ってきた。
開けないわけにはいかないだろう。
覚悟を決めろ、しっかり気を持て。
「くそっ!」
私は半ばヤケになりながら蓋を開けた。
そこにあったもの。
『人間だった』もの。
千切れた四肢、
眼球、
裂かれた臓物、
底には真っ赤な血が貯まっていた。
「!!! うぇ!! オエエエエ!!!」
床に吐瀉物をぶち撒ける。
この状況は異常だとわかっているつもりだった。
皿に注がれた血液を見ても何とか耐えることは出来た。
しかし、しかし……
あまりに無残な光景に私の精神が削れていく。 「はぁ……はぁ……ゲホッ……くそっ……」
結局私は数分間吐き続けた。
スプラッター映画とはまるで違う本物の悪意。
それに拒絶反応を抑えることが出来なかった。
口に残った胃酸の味が不快だったがここの水で口をゆすぐ気にもなれない。
私は不満をぶち撒けるかのように乱暴に鍋の蓋を閉めた。
そもそもこれは予備のスープだという。
出来ればもう……開けたくない。
改めて調理室の探索を続けることにする。
私は食器棚に目を向けた。 棚の中には深めの大皿や小鉢、多種多様な食器が並べてある。
備え付けの引き出しを開けるとそこにはナイフやフォークがあった。
とりあえずナイフを1本、護身用に持っておくことにする。
……使わなければ、一番いいのだけれど。
一見なんの変哲もない食器棚。
しかしどうも不自然に思える点が一つだけ。
(そうだ、これって全部……)
食器、ナイフ、ティーセット……その他諸々。
そこにある全ての物が銀製だったのだ。
所有者の嗜好だとしてもあまりに徹底されすぎている……気がする。
(でもまぁ……今はそれだけかな)
食器棚はひとまず置いておくことにする。
行き詰まったらまた来よう。 最後に室内をざっと見て終わることにした。
ほどなくして私は調理台の端に紙片を1枚見つける。
紙片落ちすぎだろ、ここ。
内容は以下の通り。
『大事な大事な隠し味。
残念、今は在庫切れ』
『隠し味』という単語をさっきからよく見かける。
文脈から察するにこれが『毒』なのだろう、多分。
在庫切れという言葉を信じるならそれはこの部屋にはないということにもなる。
どこかで『隠し味』を見つけ、中央の部屋のスープに入れて、飲む。
おぼろげだが探索の目的が見えてきたような気がした。 中央の部屋へと戻り、しばし考える。
とうとう残る扉はこの2つだけとなってしまった。
南の『礼拝堂』には『神』と『隠し味の資料』と『番人』
東の『下僕の部屋』には『良い子』と『いいもの』
……どちらを優先すべきだろうか。
今一番欲しいものは『隠し味』、つまり毒だ。
そういう意味では礼拝堂を先にした方が良さそうに思える。
しかし、南の重厚な鉄扉を見るだけでゲンナリしてしまう。
一体あの中には何があるというのだろうか。 (あの小窓、覗けるかな?)
南の扉の上部には小窓が付いている。
……鉄格子付きで。
いきなり突入するよりは安全だろう、私はそう判断した。
扉に近付き小窓から中の様子を伺うことにする。
聞き耳を立てるのも忘れない。
シュー……シュー……
!!!!
なにかが、聞こえる。
なにかが、いる。 汗が吹き出す。
心臓の鼓動が早くなる。
私はとっさに屈んで扉の奥にさらに聞き耳を立てた。
シュー……シュー……
なにかの息遣いのような音。
ズル……ズル……
巨大ななにかが這いずりまわるような音。
涙が勝手に出てくる。
震えが止まらない。
中の音を聞いただけでこの有様だ。
本当にこのまま、中の様子を覗いてしまってもいいのだろうか?
『夜明けとともに迎えに行くからね』
時間に限りがあるのはわかっている、立ち止まっている暇はない。
しかし、私の心は……。
私の心は、中にいる『それ』を見ても耐えられるのか? 怖い。
部屋の中に手掛かりがあるんだ。
怖い。怖い。
私はこの部屋の中に入らなくてはいけないんだ。しっかりしろ。
怖い。怖い。怖い。
中になにかがあるのは確実なんだ。覚悟を決めろ。
静かに立ち上がる。
私は、
小窓から、
部屋の中を、
覗いた。 闇。
部屋の中に光源はないようで他には何も見えない。
シュー……シュー……
音は絶え間なく聞こえてくる。
目が暗闇に慣れて来ると、ぼんやりと何かが浮かび上がってくる。
ズル……ズル……
音は絶え間なく聞こえてくる。
蛇。
蛇だ、あれは。
背には一本の翼。
ゆうに私の5倍はあろうかという、巨大な蛇と……
目が、合った。 蛇に睨まれた蛙。
昔の人は上手いことを言ったもんだ。
圧倒的な強者と、弱者。
身体が、動かない。
声が、出ない。
それが数秒だったのか数時間だったのかはわからない。
私を値踏みするように見つめていたそれはふいに視線を外すと、
そのまま部屋の奥へと消えていった。