>>891

社説 東電元幹部無罪 ゼロリスク求めなかった判決(YOMIURI ONLINE)
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190920-OYT1T50032/
>刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ。刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう。
>また判決は、「自然現象についてあらゆる可能性を考慮して対策を講じることを義務づければ、不可能を強いることになる」との考え方を示した。
>当時の原発の安全対策に、「ゼロリスク」まで求めなかったのはうなずける。
(以上は記事の一部を抜き出しただけのもので、要旨・まとめではありません)

【主張】東電元首脳に無罪 原発の安全に最善尽くせ(産経ニュース)
https://www.sankei.com/column/news/190920/clm1909200001-n1.html
>裁判長は判決理由で「あらゆる可能性を考慮した対策を義務づければ、事業者に不可能を強いる結果となる」などと述べた。
>リスクは一切あってはならないという「ゼロリスク」の過大な追求を退けた、現実的な指摘だ。
(以上は記事の一部を抜き出しただけのもので、要旨・まとめではありません)

検察審査会は確かに「万が一のリスクに備える高度な注意義務がある」として強制起訴に踏み切っていますお
しかし(個人的には)裁判を通じて「普通に安全第一で対策をすれば、事故は防げたんでないの」という風に認識が変わりましたお
さらに申しますと、この場合の「ゼロリスク」というのは「(原子力国民が主張する)想定不適当なことまで想定する」という意味でしかなく、普通の人が想像するような「リスクが全くない」という意味ではないと思いますお
( ^ω^)
BBR-MD5:CoPiPe-7bc07fc28ec0066557235d4d3cc90b75(NEW)
BBS_COPIPE=Lv:0
PID: 29767
[0.186850 sec.]
This is Original