「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」

元寇も通州虐殺もマニラ虐殺も満洲樺太虐殺も全部同じだ
尼港虐殺の時も実質日本軍だけが日本人と他民族を守っていた
大東亞戦争においては英米仏が支援して被害は甚大なものになった

1920年(大正9年)3月から5月にかけて
アムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、
赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。(anary0111

港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクを
パルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)が占領し、
ニコラエフスク住民に対する略奪を行った末に、
中国海軍裏切りによる艦砲射撃と重火器の貸与により
日本軍守備隊を殲滅し、老若男女の別なく数千人を虐殺した。

殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、
日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。
日本人犠牲者の総数は判明しているだけで 【 731名 】 にのぼり、
ほぼ皆殺しにされた。