>>598
>パルチザンの進軍
1919年11月ハバロフスク地方アナスタシエフカ村で、沿アムール地方パルチザン部隊指揮官協議会が催された。
この会において、ソビエト権力復活のために、
アムール川下流地帯にパルチザン部隊を派遣することが検討され。

指揮官には  ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィンが任命された。

トリャピーツィン率いる部隊は、二ヵ月あまり諸村をめぐって人員を募り、
一月半ばに アムール河口のニコラエフスクを包囲したときには、4000人以上の部隊にふくれあがっていたという。

>朝鮮人パルチザンは中国政府の調べでは1,000名であった。
アメリカ人マキエフも1,000名であるとしている。朝鮮人過激派は 掠奪した軍服を着用していた。
ニコラエフスクに住む朝鮮人(日本国籍)は916人で、日本人の3倍ほどだった。
ロシア国籍を持った高麗人もいて、それを加えるともっと多かったと思われる。