おねがいします
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83年の受験生ですが、当時は国立蹴り私立入学の時代の始まりで、
よくテレビや雑誌で異常な現象として取り上げられていました。
その当時は横国が入学辞退者の全国トップで、
辞退者の入学先は早稲田慶応がほとんどだと言われていました。
当時、旧帝一工神入学辞退者は数えるほどしかおらず、
旧帝蹴り私立は、慶応医学部を除けばほとんど存在しませんでした。
「私立=国立の滑りとめ」というのが当時の受験生や一般人の常識でした。
私立第一志望者が7科目勉強してまで、国立を滑り止めにするようなことは、
当時としては考えにくかったことは確かですね。
文系で言えば、旧帝一神に入るには、
一次7科目と2次3科目(英国数)の勉強が必要であり、一発勝負だったので、
偏差値上では3科目の私立と変わらなくても、
受験生の間では入学難易度は全然違うと考えられていました。
でもなぜか、当時の受験雑誌では東大文Tと早稲田政経の併願合格率を比較し、
早稲田の難易度は東大並とする記事が多く、国立志望者の反感をかっていました。
あと、早慶W合格して慶応に行く者は経済以外珍しかったですね。