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てすとす2
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0001†Mango Mangüé(7段) (ワッチョイ c3e2-8GVE)
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2021/06/11(金) 17:33:38.895230ID:LepxI4nJ0
てすとす
てすとす2
あーあーあー
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0003†Mango Mangüé(ワッチョイ ffe2-JlJp)
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2021/06/12(土) 11:32:05.127472ID:GBKpThXF0
あい
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0004†Mango Mangüé(ワッチョイ ffe2-JlJp)
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2021/06/12(土) 11:32:20.529414ID:GBKpThXF0
うえ
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0005†Mango Mangüé(ワッチョイ ffe2-JlJp)
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2021/06/12(土) 11:32:32.974110ID:GBKpThXF0
おか
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0008†Mango Mangüé(ワッチョイW a7e2-HQ77)
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2021/06/23(水) 11:07:37.102921ID:fNlTO4U/0
🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿
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0009†Mango Mangüé(ワッチョイW a7e2-HQ77)
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2021/06/23(水) 11:08:09.648313ID:XhoK3YhW0
🤬
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0011†Mango Mangüé(ワッチョイW d562-GwQR)
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2021/07/11(日) 13:47:20.086263ID:YnLqGB4K0
       、       /⌒ヽ, ,/⌒丶、       ,
       `,ヾ   /    ,;;iiiiiiiiiii;、   \   _ノソ´
        iカ /    ,;;´  ;lllllllllllllii、    \ iカ
        iサ’     ,;´  ,;;llllllllllllllllllllii、    fサ
         !カ、._  ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fカヘ.
       /  `ヾサ;三ミミミミミミ彡彡彡ミヾサ`´ ’i、
       i’   ,._Ξミミミミミミミ彡/////ii_   |
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        |  iサ  |l lヾヾシヾミミミミミ|ii//三iリ `サi  |
       |  ,カ ,カll|l l lヾリリリリリ川川|爪ミミiリllカ、カi  |
        |  ;iサ,サ |l l l リリ川川川川|爪ミミiiリ サi サi  |
        |   iカ ;カ, |l l リリリリ川川川川l爪ミミilリ ,カi カi  |
       |  iサ ;サ, |リ リリ川川川川川l爪ミミiリ ,サi サi  |
       |  iサ ;iカ, | リ彡彡川川川川|爪ミミiリ ,カi :サ、 |
       ,i厂 iサ, |彡彡彡彡ノ|川川|爪ミミリ ,サi `ヘ、
      ,√  ,:カ, |彡彡彡彡ノ川川|ゞミミミリ  ,カi   `ヾ
     ´    ;サ,  |彡彡彡彡川川リゞミミリ  ,サi
         ;カ,  |彡彡彡彡リリリミミミシ   ,カi
         ,;サ,   |彡彡ノリリリリミミミシ    ,サi
        ;メ’´    i彡ノリリリリリゞミミシ     `ヘ、
       ;メ      ヾリリリリノ巛ゞシ       `ヘ、
      ;メ        ``十≡=十´         `ヘ、
                 ノ    ゞ
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0012†Mango Mangüé(ワッチョイ 1376-0CkY)
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2021/07/24(土) 20:07:55.853724ID:wDEZ+6Fj0
UBIのスカル&ボーンズに一体何が起こっているのか?
これは絶えず大きな質問だ。同作の発売日が明かされることはまるでなく
定期的に不可解な延期の発表があるばかりである。
もちろん会社側は制作は順調に進んでいる、何も心配することはないと述べているのだが
ここ最近、内部関係者からもたらされた情報に信を置くならば、どうもそれは正しくないらしい。
8年もの困難な開発を経験し、しかもそれでいてこのゲームは方向性すらまるで定まっていないようなのだ。

まず今作について改めて説明すると、これは元々アサシンクリード4の番外編として
2013年に始まった企画でシンガポールスタジオが開発を担っていた。
そして少なくとも初期の段階では素早いターン性の戦いを軸としているソフトになっていたとの事である。
が、新型ハードの発売にともなく技術的可能性の拡大と、野心と現実の折り合いが難しくなったことで
早い段階でこのゲームは酷い混乱に見舞われたらしい。

実際、今作は過去に何度も企画内容を初期化していた。
当初はレア社のSea of Thievesと似たような中身になる予定だったようだが
次第に対戦要素を強めたものに代わり、その後はサバイバルゲームへと変更。
今ではどんな内容のソフトを開発しているのかすら理解していないスタッフが現れているらしい。
とある開発者はこのゲームを第二のアンセムだと語り、今作を断片的な形で見るならば良いところもあるが
全体で見た場合、多くの問題を抱えていると酷評していた。
新規IPとしても及第点には達していないと分析している。

しかもスカル&ボーンズの開発費は今や1.2億ドル(約130億円)にまで達しているのだ。
関係者は19年の段階で400人以上の人員が投じられていたと話しているため
現在の開発費はさらに大きな費用となっているに違いない。
別の関係者は同作の開発が中止されないのはこれまでに投じた金額が巨大すぎるためだと話していた。
ただこのゲームの開発はシンガポール政府の支援も受けているため、
多額の助成金が継続の力になっていると語るスタッフもいるようだ。

「スカル&ボーンズ開発班は誇りを持って仕事に取り組んでいますし
 ここ最近完成したものが社内でアルファ評価を通過しました。
 ですから我々はゲームの詳細を発表できる日を心待ちにしています。
 このような根拠のない憶測はゲーマーの期待に応えようと懸命に取り組んでいる社員の士気を
 挫くだけで害悪です」
とはUBI広報部。

勿論これは推測の域を出るものではないが、しかし今作がここまでたどってきた困難な道のりを思えば
決して突飛な話ではないように思う。8年もの期間を開発に充てているこのゲームが方向性の欠如に苦しんでいたのは明らかだ。
ただ過程はどうであれ、同作は今のところ23年3月期決算中にPS4、XBO、PCでの発売を予定しているようである。
https://wccftech.com/skull-and-bones-120-million-budget-gameplay-not-set/
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0013†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:06:57.176765ID:xBEMKiVN0
もともとNWA傘下の全テリトリーにひと組づつ存在した「NWA世界タッグ選手権」と同じ、
「各プロモーターが地元で勝手に作って構わないよ」というお手盛り濫造タイトルでしかなかった
世界ジュニア王座だったけど、幸か不幸かアメリカでは軽い階級に関心が集まらず、ネルソン・
ロイヤルやレロイ・マクガークといった変わり者しかジュニアタイトルなんか持とうとしなかった。
(「マクガークによる王座の専有が問題とされていた」なんてことは無かったわけで、誰も問題に
していなかったからこそマクガークのテリトリー以外で防衛戦が行われる必要もなかったわけで)

だから新日が藤波のためにタイトルを新設新造したって大した問題じゃないはずだったんだが、
何せタイトルといえばアメリカ様から頂戴するのが権威だった昭和の日本。
世界一の市場を持つマクマホンやNWAの稼ぎ頭フロリダのエディ・グラハムらの名を借りて、
「アメリカで王座決定戦が行われた」と称して、テレ朝発注・日本の商店で鋳造したベルトを
フロリダのエース・カーンに巻かせて来日させ藤波に獲らせるイベントを実施することにする。

しかし「日本国内ではNWAの名前の専有権はコッチにある」と信じてる日テレと馬場が横ヤリ、
「マクガーク派が王座決定トーナメントを行った、ガイゲル会長も認定してる」と、当のガイゲルや
マクガークが「そんなの知らないよ」という発表をして足を引っ張る

まあ今となってはくだらない諍いだったわけだけど、当時は盛り上がったなあ
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0014†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:07:45.634007ID:EUFTVNIJ0
そもそも力道山が「インターナショナルを奪取した」という試合もただのノンタイトル戦で、
力道山が「タイトルを日本に持ち帰った」後もテーズはアメリカで「防衛戦」を行ってる
テーズにとっては末期マスカラスの「IWA世界ヘビー級ベルト」みたいなもので、
テーズの肉体と同化した肩書きだったんだろうね

かつてはNWAやWWAの「世界王者」だったルー・テーズもその後は無冠になってしまい、
しかしそれじゃあ興行に泊がつかないというので二つ名としてアナウンスされていたのが
世界を股にかけて活躍したという意味の「インターナショナルな王者」という称号
いわば「燃える闘魂」「世界の荒鷲」「怒涛の怪力」みたいなもの

「世界王者」の肩書が欲しかった力道山が、海外であのテーズに勝ったんだからと
「2代目インターナショナル王者になった」と言い張ったわけだけど、それは
ハンセンやホーガンがノンタイトル戦で猪木や小林に勝ったからと「二代目・燃える闘魂」
「二代目・怒涛の怪力」をタイトルとして防衛戦をやるというようなもの
ムチャにも程があるんだけど、力道山に意見できる人間なんかいなかった

当然、ベルトだって存在しなかったわけでw (当時テーズがリング上で巻いていたのはかつて保持した
自前ベルトで、いわばマスカラスのIWAベルトとかクラップがコスチュームの一部として巻いていた
ベルトと同じようなもの、当然テーズは力道山にくれてやる義理はないとして譲渡を拒絶した)
力道山は慌てて日本国内でベルトを制作したものの、見栄えが悪いので後にアメリカで買った
「ワールド・ヘビーウェイト・チャンピオン」の
称号が入ったベルトを「インターナショナル王座」の
ベルトとして使い続け、馬場の時代まで引き継がれることになったのは有名

出自由来がどんなにいい加減であっても、ファンが夢を持てば権威になる、それがプロレスの
タイトルでありベルトなんだろう
(1・2の三四郎の、塚原・桜のタッグベルト争奪を思い出す)
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0015†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:08:21.927804ID:EaYxiMRp0
> MTVて、あのMTV?(曲のMVとかを流す)
> MTVでプロレス中継してたの?

そう。ケーブルTVが普及し始めたのが1982年で、山のようなチャンネルの中でも人気局として
飛び出したのが若者の支持を受けていたMTVだった。

プロレスは1950年代後半に全米規模の地上波TVから見切られ、プロレス番組は地方局のみの
コンテンツになっていた。(だから地方局がカバーする狭い範囲だけが「テリトリー」になった)
「全米規模のプロレス」はこのMTVの中継まで30年存在していなかったわけで、多くの若者は
WWFを「今まで見たことのない全く新しいポップな娯楽」として受け入れた。

その後NBCがWWFを取り上げて30年ぶりのプロレス地上波放送を敢行したのも、旧来の大衆娯楽としての 
プロレスではなく、「MTVが掲げた若者文化」に注目した部分が大きかったんだろう
本当にローパーの功績は大きかった。

その代わり、ケーブルTVによる全米中継の普及と共に、地方局が支えたテリトリー制っていう60〜70年代の
プロレス文化は消滅することになり、テリトリーをつなぐカルテル・NWAも消えることになるんだけど。
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0016†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:10:38.979372ID:40d2B8Jc0
前号のGスピのNWA特集はとても刺激的だった

ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、79〜81年にレイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて

「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。

自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。あれはバーネットにとってもレイスにとっても
ハッピーだった。ももちろんグラハムも馬場もハッピーだったし、
ローデスにもリッチにも箔が付いた。

ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していた
ことの証明だった。」


Gスピより

「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、リッチが王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」

「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。

しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」


そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」だったんだな


で、そのNWAの稼ぎ頭・フロリダは77年以降、全日よりビジネス順調と見た新日本に付く

エディ・グラハムが猪木と提携し、マツダ、ブリスコ、ローデス、カーンらを新日本に上げた
結局この世界は、日本のファンが過大に信奉していたNWAという「組織」の看板などよりも
「プロモーター同士のつながり」が全てだというのが露骨になったものだった
けれど、日本国内でNWAの看板を死守したい馬場が働きかけて、エディ・グラハムは
新日全日を両天秤にかける等距離ビジネスをはじめ、81年からブリスコが全日本に出戻る

しかし呑気な日本人は気付いていなかったけれど、前年の1980年にはもうNWA総会には
人もまばらになっていて、事実上NWAは1981年から空中分解を始めていたと言われている

ビンスが動き出すより先にアトランタのケーブルTVがNWA3本柱だったジョージア地区の試合の
全米放送を始め、NWA総会で自粛を求める声も出たがバーネットは無視し総会も掣肘できず
「よそのプロレスを誰も知らないから成立したテリトリー制」という70年代の遺物は崩壊する
NWA体制の象徴だったマソニックもこの81年に完全引退、この年にチャンピオンになった
フレアーは間もなくクロケットエリアのみの限定地区王者になってNWAエリアの巡回を放棄、
翌82年にはロス地区のラベールが脱退、83年にはNYのビンスとジョージアのバーネットが脱退

日本がまだNWA幻想を守ろうとしていた時期に、アメリカでは組織としてのNWAはもう
事実上死に体になっていたんだなあ

自分なんかもローデスが二度目の王座に就いた時、…というかホーガンがWWF王者になった
頃あたりもまだ組織としてのNWAってそれなりにしっかりしてると思ってたからなあ
フレアーとマーテルがNWA・AWAの「統一戦」を日本開催しちゃった85年あたりで流石に
「あれ?実はもうNWAとかAWAとかってどうでもいい扱いになってるの?」
と察してしまったけど



185 お前名無しだろ (ワッチョイ 4e02-QjLk) [sage] 2021/03/04(木) 16:38:55.96 ID:VMh5hYbv0
>>179
同じ月一の定期戦を比較すると
アトランタはニューヨークの一割の人口しかいないのに
オムニセンターはMSGの半分近い客を集めていたからな
もっとすごいのはNYの5%の人口しかいないのにMSGの半分強の客を集めてた
セントルイスのキールオーデトリアムだけど

ただしアトランタ以外にめぼしい都市のないジョージアと違いマクマホンは他にも
ボストンやフィラデルフィア、ボルチモア等でもビッグマッチができたからこの差は
大きかった

マソニックに至ってはキールと定期戦とチェッカードームの年二回イヴェント以外
はテレビマッチだけで地方興行なし
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0017†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:11:38.000718ID:fEM2SA7G0
小林はホーガンの日本デビューのTVマッチで噛ませ犬にされ秒殺させられたことに恨み節だったけど、
このシリーズ、ホーガンは日本人相手のシングルでは秒殺続きだった
(キャリアのないホーガンに長い時間引っ張る試合はできないという判断だったんだろう)
蔵前の最終戦では小林・長州組がホーガン・アレン組と対戦し小林がアレンを抑えて形の上ではリベンジしてる

5月16日 ○ 3分38秒 小林
5月18日 ○ 2分06秒 永源
5月19日 ○ 4分02秒 剛
5月20日 ○ 1分59秒 木村健
5月21日 ○ 2分26秒 木戸
5月23日 ● 5分40秒 猪木(反則負け)
5月27日 ○ 3分06秒 長州
5月31日 ○ 3分14秒 永源
6月2日 △ 5分17秒 坂口
6月4日 ○ 3分27秒 木戸



2度目の来日の秋のシリーズ、第一戦はロン・スターと組んで猪木・木村健とのタッグだったが、
何とホーガンが木村から2本連取してのストレート勝ちで、以下シングルでは坂口も秒殺してる

10月11日 ○ 3分38秒 小林
10月13日 ○ 4分44秒 坂口
10月15日 ○ 4分04秒 長州
10月17日 ○ 3分43秒 小林
10月20日 ○ 5分55秒 坂口
10月22日 ○ 3分32秒 長州
10月29日 △ 7分34秒 坂口
10月30日 ○ 6分34秒 藤波
10月31日 ○ 6分53秒 小林
11月03日 ● 13分19秒 猪木(NWFタイトル戦)
11月04日 ○ 6分55秒 坂口
11月05日 ○ 2分29秒 長州

猪木との初のタイトル戦前に「ちょっと長い試合の練習」をしているらしいのがおかしい

小林はデクの棒ホーガンの噛ませ扱いを怒っていたけど、実のところホーガンは初来日の段階で将来の
エース候補として扱われていて、秒殺もボロを出さないための苦肉の策だったんだろうな
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0018†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:12:21.685809ID:dEoJKsPh0
【勇猛シリーズ】国際プロレスpart22【日本リーグ争覇戦】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1578922756/


656 お前名無しだろ 2020/02/03(月) 12:59:53.24 ID:5HyXDavr0
木村のマイクの面白さに着目するセンスがあれば良かった。
「社長、」さっきは私もつい興奮してしまって」→リンチ兄弟戦
「まったく私は踏んだりけったりですよ」→全日との対抗戦後

当時から結構面白いw


668 お前名無しだろ 2020/02/03(月) 19:44:03.15 ID:b6Vtbsxsa
正確な木村のセリフは、
「この前の蔵前での試合と言い、今日大阪での試合と言い、まったく私はついてないですよ!」
「この前の試合だって、私は負けていないんだよ!」
「私の気持ちもわかってください。ありがとうございます、どうも」
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0019†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:13:54.558455ID:xvolr+KX0
天龍、鶴田を語る(GスピVol.42 鶴田特集より)

――実際に鶴龍コンビに嫌気がさしたのは、87年春にジャパン・プロレス勢が大量離脱するよりも
前の段階だったんですね。

「コブラツイストをかけて、グルッと一回りしてリングサイドのカメラマンに『OK?』とかって
写真を撮らせたり、相手を敬わないジャンボをコーナーから観ていて、尊敬できなくなっていったよね。

リングの中で相手を見下したような試合をしたり、リングの外でプロレスラーの鶴田友美です、と
言うのが嫌そうなジャンボを見ていて、段々嫌になっていったんだよ。
『お前、この職業が嫌だったら辞めればいいじゃない』というところまで思い詰めたよ」


「ある時にシャンボに『ウチの会社をもっとこうした方がいいよ、って馬場さんに言ってよ』と
言ったら、『源ちゃん、俺も何回も言ってんだよ、そんなことは! 馬場さんだって知ってるよ。
言ってその通りになるんだったら、とっくに違う俺になってやってるよ』と逆に諭されちゃったからね。
だから、ジャンボはその時から分かっていたというか、諦めちゃっていたんじゃない?」

「当然、彼にはアマレスから来て、彼なりのプロレスに対する、こうやりたい、という理想はあったと
思うけど…でも、ある時から、あの人はビジネスと割り切ったと思うんだよ、プロレスを」
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0020†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:14:19.550713ID:7dhoGu5S0
天龍、鶴田を語る(GスピVol.42 鶴田特集より)

――鶴田さんと言えば、『無尽蔵のスタミナ』が代名詞でもありますが、それは感じましたか?

「俺はそうは思わなかったね。それは適当にやっていたからだろうし、人より大きい身体だからであって、
それは馬場さんも一緒だと思うよ。
俺が何でそう感じるかというと、自分よりも小さい奴と戦った時に『ああ、ジャンボもこんな気持ちで
戦っていたんだな。楽でいいな』って思う時があったもん。汗をかかない自分がいるわけだからさ。

ジャンボには『余裕のある自分を見せたい』っていうのがあったよ。
『俺はお前たちみたいに必死こかなくてもやれるんだよ』って感じで、必死に向かっていく相手に
ハイ、ハイ!』とか、言わんでもいいこと言って、みんなに顰蹙を買ったのも確かだよ。

『余裕をもってこのプロレスに溶け込もうとしている俺がいるんだよ』というのをみんなに分からせようと
思って、やっていることが裏目に出ちゃったな、という部分がありますよ』
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0021†Mango Mangüé(ワッチョイW fa6f-jKyd)
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2021/08/04(水) 15:14:29.865640ID:7dhoGu5S0
――85年1月から87年春までのジャパンプロレスとの対抗戦では鶴田さんではなく天龍さんが矢面に立ちましたが。

「たぶんね、ジャンボは長州とやりたかったと思うんだけど、俺が突っ走っちゃったから、
『だったら天龍がどこまでできるのか、お手並み拝見』というところでおっとり構えていたのが、
意外と(長州の自分の抗争が)スパークしちゃって、それが2年も続いたというのは(鶴田にとって)
誤算だったと思うし、挙句の果てに大阪城ホールでの(鶴田と)長州との一騎打ち( 1985年8月5日
=60分時間切れ引き分け) の評判があまり芳しくなかったというのは大誤算だったと思うよ」

――あの一戦は、「ジャンボ鶴田の強さが際立った」とも言われていますが、セコンドで観ていた
天龍さんの目にはどう映りましたか?

「あれは結局、おっとり刀で駆けつけてきてエース(としての貫禄)を見せなきゃいけないジャンボ
鶴田と、突っ走らなきゃいけない長州力の闘いということだよ。

長州が初めてドロップキックをやるのも見たし、ジャーマンをやったりとか…いい試合をやろうと
必死にもがいている長州を見て、何か可哀相だったよ。
シャカリキになって向かっていく長州が小物に見えちゃって、そういうのをジャンボが(意図的に)
見せようとしているのかと思って嫌になっちゃったね。
スカして『大きい自分』を見せようとしたジャンボに、『もっと応えてやりなよ、男らしく
ぶつかってやれよ!』と思う俺がいたんだよ。

『興行っていうのはそういうもんじゃないだろう。大阪城ホールの満員のお客さんが期待して
るんだから、何とかしろよ!もっとやり方があるだろう!こんなにお客さんが入ってくれたのに、
これはないよな』 と思ったし、自分を大きく見せようとするジャンボに逆にちっぽけさを感じたよ。

あの負けん気の強い長州が『もう1回』って言わなかったでしょ。それが全てを物語っていると思うよ。」
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2021/08/04(水) 15:15:04.716604ID:nqbhazt80
■意識の差

聞き手「60分ドローに終わった11.4大阪の試合ですね」

天龍「あの時ジャンボは自分を大きく見せようとして、長州は観客に自分たちの闘いを訴えようとした。
その差だったんですよ。
全日の後継者は俺だということを見せたかった鶴田と、自分を応援してくれたファンを満足させようと、
ジャパンの興行として責任を一身に背負って上がった長州との差が出た。
だから長州はジャーマンまで出してシャカリキに闘ったけど、ジャンボはただジャンボ鶴田を
見せたという感じでしたよね。

だからあの試合を挙げて『鶴田選手は凄い』って言われることが多いですけど、俺は違うと思いますよ。
試合後に渕が盛んに『ジャンボさんはやっぱりスゴい!』なんて持ち上げてたけど、
『何言ってるんだよ。長州は試合を面白くしようとしてシャカリキにやったじゃない!』
って、俺は心の中で叫んでましたよ。
今の俺の説明を受けて、もう一回ビデオを見てもらえば分かってくれると思うよ。
俺らは常に見に来てくれた人を面白くしよう、納得させようという思いがあったから。」


http://hidehide7755.blog27.fc2.com/blog-entry-2340.html?cr=e91b526d4505b8b435dbaa76701e65b2
【週刊プロレス No.1576】より
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2021/08/04(水) 15:15:27.924407ID:nqbhazt80
天龍の言う「食えないほど金をもらっていなかったわけでもなく、かと言って
他の世界より物凄い金をもらっていたわけでもなく、夢も見られずもっと上を
目指そうと思うこともできないプロレス生活だったんだろうな」というのが
鶴田の前半生を言い表しているという感じです

本当、天龍谷津らのSWS移籍がなかったら鶴田なんて「ちょっと素質に恵まれた
グレート草津」くらいの評価になるところだったんでしょうね
周囲がいい環境をいくら与えてもそれを生かせずに終わった社員レスラーという

格下の三沢の引き立て役になれと言われて初めて悔し涙を流し、やっと感情を
むき出しにするプロレスができるようになったのを、ちょうど馬場と手を組んだ
ターザンらが誇大宣伝をして、一部の好事家に「最強」ギミックで夢を与えた、

そういう晩年をいっときでも送れたのは幸せだったと思いますけれどね

じっさい、鶴オタの妄言に対する反論で、猪木がブロディと初対決したのが
42歳の時で、猪木は翌年43歳でブロディと60分フルタイムドローを演じて
いたのに対して、鶴田は同じ42歳の時には肝炎が悪化し、翌年43歳の
時にはもう渕・永源・泉田らとの前座試合要員になっていたというのを
改めて知らされた時には、ああ現実って無常だなあ、と思えましたもの
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ホーガンとMTVとシンディ・ローパー――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第35回

2016年02月25日

 ビンス・マクマホンは、WWEがターゲットとする観客層とMTVの視聴者層を“共通分母”ととらえた。

ハルク・ホーガンとMTVとシンディ・ローパーのコラボレーションに、アメリカじゅうのマスメディアは“プロレス・ブーム”の気配を感じとった。(写真は米専門誌「インサイド・レスリング」1985年8月号表紙)

 キーパーソンは、人気女性ロック・シンガーのシンディ・ローパーだった。ローパーは国内線飛行機でたまたまとなりに座ったWWEの悪党マネジャー、ルー・アルバーノとの約2時間の会話を「ひじょうにインスパイアされた時間」(ローパー談)と感じた。  アルバーノはローパーがどのくらいビッグなロックスターであるかをまったく知らなかったし、もちろん、ローパーもアルバーノのことを知らなかった。ローパーは、1950年代から30年以上にわたりマディソン・スクウェア・ガーデンの舞台に立ちつづけているというアルバーノの昔ばなしに耳を傾けた。  ニューヨークのプロレスファンにとって月にいちどのガーデン定期戦は“生活習慣”のようなものだが、ポップ・ミュージックの世界には、ガーデンで毎月コンサートを開き、1年を通じてコンスタントに約2万人の大観衆を動員できるアーティストなんて存在しないし、またそういう発想もなかった。ローパーは、プロレスの文化的価値と肌の色や宗教を超えた大衆性、そして、そのタイムレスな人気にショックを受けたとされる。  ローパーとアルバーノはおたがいの電話番号を交換して飛行機を降りた。それから数カ月後、アルバーノは大ヒット・シングルとなったローパーの“ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン”のミュージック・ビデオにローパーの父親役でゲスト出演した。  ビンスは、アルバーノとローパーのコネクションを逃がさなかった。WWEのテレビ番組に特別ゲストとして登場したローパーは、ロディ・パイパーのトーク・コーナー“パイパーズ・ピット”でパイパー、アルバーノと大ゲンカを演じた。これが“予告編”だった。  ローパーは「プロレスで決着をつける」と宣言し、アルバーノもこれに応じた。もちろん、ローパーとアルバーノが闘うわけではなくて、ローパーが“友人”ウェンディ・リヒターを連れてきて、アルバーノがマネジメントする“女帝”ファビュラス・ムーラに挑戦するという設定が用意された。  イベント名は“ブロール・トゥー・セトル・イット・オール”。ロケーションはもちろん、ローパーとアルバーノの“因縁ドラマ”の背景をつくったマディソン・スクウェア・ガーデンだった。MTVがこのイベントを1時間ワクの特番として全米生中継でオンエアした(1984年7月23日)。  1時間番組はハルク・ホーガン対グレッグ・バレンタインのWWE世界ヘビー級選手権、バトルロイヤル(アントニオ猪木が優勝)、ムーラ対リヒターのWWE世界女子選手権の全3試合というラインナップになっていた。MTVにチャンネルを合わせた視聴者は、ローパーよりも先にホーガンのプロモーション映像をたっぷりと目にすることになった。これがビンスのそもそもの計画だった。  ローパーがリヒターのセコンド、アルバーノがムーラのセコンドについたWWE世界女子選手権は特番のメインイベントにレイアウトされていた。MTVのカメラはリングサイドのローパーとアルバーノの動きを追いつづけた。  リヒターがムーラを倒してタイトル奪取に成功した。ガーデン定期戦の常連層にとってはそれはなんでもない試合だったが、マスメディアはWWEとMTVのジョイント企画に“プロレス・ブーム”の気配を感じとった。特番はケーブルTVとしては驚異的な9パーセントの視聴率をはじき出した。  試合が終了した瞬間、ホーガンがリングに上がり、ローパーとリヒターのふたりと抱き合った。リヒターは手に入れたばかりのWWE世界女子王座のベルトを腰に巻き、ホーガンもWWE世界ヘビー級王座のベルトを手に持っていた。



「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月〜金更新 WWEヒストリー第36回
2016年02月26日

 人気ロック・シンガー、シンディ・ローパーをフィーチャーしたMTVのプロレス特番“ブロール・トゥー・セトル・イット・オール”(1984年7月23日放映)の主人公は、ローパーでもローパーの“友だち役”を演じたウエンディ・リヒターでもなく、じつはハルク・ホーガンだった。



WWEとMTVが共同プロデュースした特番にミスターTが登場。予想どおりロディ・パイパーと大乱闘を演じた。これが“レッスルマニア”第1回大会のプロローグだった。(写真はWWEオフィシャル・マガジン表紙)

 MTVにチャンネルを合わせた視聴者は、ローパーとプロレスのコラボレーションというちょっと変わった番組を観ながら、じっさいはホーガンの“プロモーション映像”をたっぷりと目にすることになった。  プロレスファンではない一般視聴者にとって、ホーガンは映画『ロッキー3』でシルベスター・スタローンと闘った“あの金髪のプロレスラー”だった。  MTV特番は、ケーブルTVとしては驚異的な9パーセント強の視聴率をはじき出した。特番から2カ月後、ホーガンはローパーといっしょにゲストVJとしてMTVにレギュラー番組にも出演した。番組のなかでホーガンは“ハルカマニアHulkamania”というキャッチフレーズを連発し、これがひとつの流行語になった。  MTVとの“蜜月”は、ひじょうに短期間のうちにWWEをアメリカでいちばん新しいポップ・カルチャーといったポジションに押しあげた。“ハルク・ホーガン”と“WWE”がトレンドを知るキーワードとしてありとあらゆるところで活字に化けはじめた。  アメリカのマスメディアにとって、プロレスは戦後の1950年代前半の白黒テレビの時代に大ブームを迎え、それから数年後に“消えたスポーツ”ということになっていたから、にわかに動きだしたプロレス・ブームは不可解な社会現象だった。  もちろん、マスメディアのこの認識は明らかに誤りで、プロレスというジャンルそのものはいちども消滅したことはない。1960年代と1970年代の20年間は、プロレスはローカル・ベースの人気スポーツとしてちゃんと“生息”していたし、ローパーが驚いたように、ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦はブルーノ・サンマルチノの時代からずっと毎月2万人クラスの大観衆を動員してきた。  ビンス・マクマホンは、アメリカ国内のケーブルTVの急速な普及にもっとも敏感に反応したTVプロデューサーのひとりだった。  WWEはUSAネットワーク、TBSのふたつのチャンネルを使い、毎週15時間から20時間のプロレス番組をケーブルTVの有線に乗せ、これと同時に自社製作のシンディケーション番組をアメリカじゅうの独立系ローカル・テレビ局に配給していった。  ケーブルTVのプログラミングでは通常、同じ番組を週に3回ほどリピート放送するため、毎日のようにどこかのチャンネルのどこかの時間帯でWWEのプロレス番組がテレビの画面を“占拠”していた。それはまさに“たれ流し”と表現していいほどの莫大な情報量だった。  MTVは、WWEとの共同プロデュースで2本めのプロレス特番として“ザ・ウォー・トゥー・セトル・ザ・スコア”を企画した。  ローパーにつづく新しい登場人物は、映画『ロッキー3』でスタローンの敵役を演じ、人気TVシリーズ『特攻野郎Aチーム』の主役をつとめるアクション映画俳優のミスターTだった。ミスターTは、もともとプロレスにひじょうに興味を持っていたという。  MTV特番“ザ・ウォー・トゥ・セトル・ザ・スコア”のメインイベントは、ホーガン対ロディ・パイパーのシングルマッチ(1985年2月18日=マディソン・スクウェア・ガーデン)だった。ホーガンのセコンドにはパイパーと半年がかりの“因縁ドラマ”を演じるローパーがついた。  場外乱闘シーンでパイパーがローパーに襲いかかった瞬間、リングサイド席からミスターTが飛び出してきてローパーを救出した。予想どおり、ミスターTの“乱入シーン”にマスメディアが飛びついた。番組の視聴率は、前回をしのぐ9.1パーセントをスコア。これが“レッスルマニア”誕生のプロローグだった。(つづく)


トップ  スポーツ  プロレス・ブーム“ハルカマニア”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第37回

2016年02月29日

 キーワードは“ハルカマニアHulkamania=ハルク狂時代”である。だれがそれをいいはじめたのかというと、ハルク・ホーガン自身だった。


キーワードは“ハルカマニア=ハルク狂時代”。すっかり時の人となったホーガンは、毎晩のようにネットワークTVのトーク番組にゲスト出演。(写真は米スポーツ誌「スポーツ・イラストレーテッド」1985年4月29日号表紙)

 定番のフレーズは「ハルカマニア・イズ・ランニング・ワイルド Hulkamania is running wild」。無理やり和訳するとしたら「ハルク狂が大暴走だぜ」といったニュアンスになるのだろう。  MTV特番の第2弾“ザ・ウォー・トゥー・セトル・ザ・スコア”(1985年2月18日放映=マディソン・スクウェア・ガーデン)は、ケーブルTVにおけるプロレス番組の新記録となる9.1パーセントという驚異的な高視聴率をはじき出した。この記録は同番組放映から30年以上が経過した現在でもまだ破られていない。  シンディ・ローパーと並ぶもうひとりのゲスト・セレブリティーとして、MTV特番にはアクション映画俳優のミスターTが登場した。女性ロック・シンガーのローパーとミスターTの“使い勝手”のちがいは、ミスターTがプロレスラーに変身できそうなヘビー級のアスリートだったことだ。

 すっかり“時の人”となったホーガンは、“ジョニー・カースン・ショー”“デビッド・レターマン・ショー”“サタデーナイト・ライブ”といったネットワークTVの人気番組に毎晩のようにゲスト出演し「ハルカマニアだ、レッスルマニアだ」を連呼した。  “レッスルマニア”の記念すべき第1回大会(1985年3月31日=マディソン・スクウェア・ガーデン)の目玉企画は、いうまでもなくホーガンとミスターTのタッグチーム結成。“レッスルマニア”というイベント名は、“ハルカマニア”から派生した造語だった。  ビンスは“レッスルマニア”のクローズド・サーキット上映用のロケーションとして全米200都市の映画館、劇場をブッキングした。いまから30年まえはインターネット上の動画配信サービスどころかケーブル回線によるPPV(ペイ・パー・ビュー=契約式有料放映)というテクノロジーさえまだ実用化されていなかった。  アメリカでもっともポピュラーなスポーツ雑誌“スポーツ・イラストレーテッド”(1985年4月29日号)がWWEを密着取材し、カラーグラビア20ページを使ってプロレス・ブームの特集記事を組んだ。もちろん、表紙はホーガンだった。
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