ですと
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瞑想がこれで正しいのか分からない
ただ、瞑想に正しさを求めた地点で間違ってるようには思える 瞑想をするのは苦痛から逃れるためだとは思うけどそのために苦痛を味わう必要がある
そして同様に欲望も打ち消す必要がある
というのも苦痛は世界への執着から来ていて、欲望こそがそれを呼ぶからだ
苦痛を苦しいと感じず欲望も打ち消せば世界は事実上の無になる 自分の考えではこうだけどやっぱり他の人から学んだ方がいいのかな 世界=無となった時、世界から苦痛は消える
そして同時に執着も消える
そうなった時世界はその他にどうなるか 名人記にも弓術を突き詰めれば無というのがあったね
不射の射
世界はもともと存在しているだけ、いや存在という概念自体も人間の思い込みそのもの
視点によっては存在は存在していないのと変わらない 認識という云わば人間化
これがいかに不安定不条理なものか理解しなくては 理解というより感じる方が近いかも
うーむいい言い表し方が思い付かない 瞑想している間は何も考えないけどね
瞑想してからだ 幸福苦痛とは何だ
それが人の目的だと思われるのか
なのだとすればやはりそれは認識という人間化によるものなのか? まあそうだとした方が分かりやすいか
予め人を人として拘束するものを理解しないと排除も無視も出来ないからな 結局のところ、瞑想自体も自己満足を満たしたいという欲求なのではないか
すごく心配になってきた 欲望から脱するために他の欲望を行使する…
そんなんじゃ「死にたい」という欲望か、あるいはその他の欲望自体を消し去る方法でしか欲望の連鎖からは脱することが出来ない 瞑想の理由を他人に求める
その地点で目的を追うわけだから自己矛盾に陥って瞑想じゃなくなる
やっぱりこのまま続けるしかないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています